人生には、右か左かの問題は毎日なのである。

その度に迷っていたのでは、たまらない。その度に鼻を、持って行つてはたまらない。

 

その迷ふと云ふ事は、本当は自分を知らないと云ふ事である。

右を取れば十貫目のもの、左は3貫目のもの、自分は5貫目のものは持てる、それなら3貫目のものを持てば良いではないか、力の余裕を残して、遥々と道中すれば危険はない。それを、10貫目のものが欲しい、持ちたい。何とかならないか、の欲が 鼻の持つて行き所を迷はせる。


常に自分の力、自分の周囲の状況を、はつきり掴んで、人の言葉に迷はぬこと、そして、この自分の点数をはつきり知つている事が大切なのです。ウッカリ鼻を出すと掴まれて終ひますよ。


私は野良牛だ、ひとに鼻を引き回されるのが大嫌ひで、自分で勝手に歩るいて来ました。飼ひ牛ではないから飼料の保証はないかはり、気に入らぬ人の車も引つ張らないですみました。どこまでも、俺は俺の鼻で 息をするんだ、なのです。そして、、何時も自分の姿と力とを計算しています。無理をせずゆっくり歩こうと考へています。


ご自分の鼻で 息をして下さい。これが悟れたら、大道坦々たるものです。
 

三猿と云ふのがあります。

見ざる 聞かざる、言はざる と云ふ事、人の悪るいところは、見るな真似するな、人の悪るいを聞くな、人の悪を云ふな なのですけれど、人の事を 見るな 聞くな 言ふな、自分の鼻でいきをせよ だと思ひます。