又、結婚にも、第一の年月日、第二の何処で、第三の誰の子か、が大きく関係すると共に、その「時」や環境や四周の人達云ふ因縁が大きく関係するのであります。
 

此の結婚にも、宿命的な縁のもの、因縁的な縁のものとがあります。

これは自然的に申し述べませふ。


兎に角、此の様な状況であつたから、斯の様になつたと判るのは因果関係なのだから、因縁「縁に因るもの」と判定付くが、何故であるかと、因縁的に、原因結果的に説明の付かぬもの、偶然的な、奇跡的なものは、どふやら「宿命さ」と云ひ度くなる。

 

で、これが因縁的なものか、宿命的なものかを先に判定して掛らねばならぬのが、易者の仕事だと思ひます。
 

因縁のものなら、現在が斯ふなら結果は斯ふ、と正しく平静に物事を考へ得るなら断定出来るし、悪るい手段から悪るい状況因縁なら、「はこび」を正すことによつて、禍を福へと転化も出来るのだけれど、因縁と宿命とがお互ひに底流に動いているものとしたら、その眞相を探求するのが「易者」の仕事であると共に、その相に従った方策も考へなければならない。
 

さあ、「易者」も考へれば大変な仕事なのです。