例えば結婚の例をとりませうか。
結婚の話が出た、と云ふことはいろいろの状況全部が因縁なのです。

結婚適齢になつたと云ふことが宿命なので、他は全部因縁なのです。

例へばあの人が居たからお話が出、此の人がそれを聞いて写真を貰って来る、大体此の話は、誰々さんの結婚式に出席した時、誰々と噂に登つていた。それが良い噂さだつたので、偶然それを聞いた人が××× 因縁の連りである。


それを、さあ、良いか悪るいか‼︎判断せよと責める。

私は、その縁談が 因縁正しく動いて来ているか考へる。

又、二人の因縁が 結婚と云ふまでの深い因縁のものなのかを考へる。

 

結婚と云ふ因縁でもないのに、勿論、宿命でもないのに、四周が、特に両親が、娘も年頃、遅れたら大変と、騒いでいるのではないか、その二人はその様な宿命で今、此の話が出て来ているのか、と順を送つて考へてみる。


大変なんですよ、笑ひ乍ら、戯談を云ひ乍ら、話を聞いてい乍ら、腹の中ではキリキリ舞ひする程 考へて居るんです。若し当時者が前に坐つて居るなら、その人の顔色、言葉の変化まで感じとつていなければならぬのです。
 

斯ふなんです。宿命的に結婚する場合は、どんなに離れていても結婚するし、どの様に妨害されても結婚するものはするし、又、どんなに夫婦けんかをしても分れませんし、深い夫婦の情が二人の間に理屈抜きに湧き出しているのであります。