生れた処が金持の家であつた。これが因縁。
貧乏の家であつた、これも因縁である。
両親がある。片親しかいなかった、等も因縁である。
斯く因縁と云ふ環境と、その状況の変化から生ずる束縛と云ふ様なものが、もふ生れた瞬間から付いて終ふのだ。本当は生れる前から付いている、それは両親の結婚する、したと云ふ事実と状況の因縁である。
即ち正しい結婚だつたか、祝福されない結婚であつたか、又は後に述べる、因縁の結婚であつたか 宿命の結婚であつたか 等の差は、子供の生長や躾や習慣に大きく影響するのである。
又、その両親それぞれの男女の姿も 今のこの子の様にその親達の因縁や宿命に依るものであつたのだ。
さて、その因縁のことのスタートは、生れた瞬間 何と云ふ姓の家の子として、第何番目の子、貧しいか富んで居る家か、さて又、その肉体的素質が丈夫か弱いか、母親の肉体の状況、栄養の状態、母親の精神状態などが子供への因縁となるのである。
然しこれは、因縁であつて、宿命と云ふものではない。
何としても左右できないもの、方法を構じても変えることの出来ないもの、これが宿命である。
この変えられないものとは、第一に生年月日、第二に誰の子、第三に何処で生れたかと云ふことである。
因縁は変へられるものである。
それは「はこび」に依って可能なのであるが、この宿命は変へられない。