もふ一つ、性命と云ふものがあつて、これは最とも大切なものである。

因縁、宿命、性命は、三本の糸の様によれもつれして人生をいろどつて行くものなのだ。


此処では宿命を主として考へてみます。
 

第三の何処でと云ふことは、日本に生れて日本人だと云ふ宿命。

第二の誰の子と云ふ事は、これは雲の上の人か、吾々みたいに地上に行きて居ると云ふ様な輩。

たとへばとんでもない例だが、千姫も徳川家康の娘と生れなかつたら、政略結婚の犠牲者とならずに済んだかもしれない。哀れその家に生れたと云ふ事が、その様になる条件になつたのであつて、千姫にはその因縁を左右出来なかつたのである。

因縁より宿命が大きく働いた例である。
 

生年月日も今更、じぶんの意志で変更出来ない。

その制約を、生より死に到るまで受けねばならぬ。
 

もつと大きな宿命の支配をも受けるが、それは常に因縁と絡み合つているので、何処までが宿命、何処までが因縁であるか区別に付かぬ状態で現はれます。

 

それは戦争への参加と云ふ様に、これは第三の何処に生れたか、又、何年に生れたか、と云ふ宿命的なものと、その健康、不健康、特技の有無と云ふ因縁の有無とに依ります。

 

また「何処で」と云ふことは、その生い立ちに影響して居ります。その風土や 文化の環境も因縁の姿になります。