幸ひにして、本当に正しい躾、正しい人世観を与へてくれる親であつたとしたら、その親は決して金持の子としての躾はしないのである。
 

名誉の家に生れた事も、決してよいとは云はれない。
 

親が努力して成功し、その功績が社会によつて認められて与へられたものだ。子には関係ない。それを子にまでその名誉を保持する才能があるものだと、甘い親は考へ、又、四周もそふある事を期待、又要求する。
 

金だの名誉だので育つたとしたら、温室で養はれた草花か何かみたいに、ノラリと大きくなって、此の荒い冷い風の娑婆ではとても生きて居られまい。
 

精々花屋の店頭で二、三日、アラ綺麗ネと、女性の愛眼用に終るさ。
 

貧乏の家に生れて、貧乏する様に躾けられたのなら仕方ないが、貧しいと云ふ事は、そんなに負担ではない。貧しければ大学へ行けぬかもしれない、然しその人間特有のの才能があり、努力の気概があるならば、世の中はけっしてその活動を拒否はしないのである。
 

それを、お前は貧乏人の子だからと親の貧乏事情を植え付け、本人も其の気になつて、どうせ俺は貧乏人の子さ、と思ひ込んで貧乏と云ふものが骨の膸まで浸み込んで終つてはどうし様もない。

 

だから先に云つた様な、彼奴は金持の子だから運がよい、俺は貧乏の家に生れたから運が悪るいと云ふのは 余程の意気地なしか馬鹿なのだ。