次に、宿命的でないものは、大きな声で「高砂ヤア」と云つても 七百万余かけても、一千萬円の式典を挙げても、離婚となるものは離婚となる。金や仲人や式典は何の力もないものです。金や仲人や式典は、因縁なのですから、宿命と云ふものを制御出来ない。


又、因縁的な結婚、正しい因縁の「はこび」があれば、立派な御夫婦が出来上ります。
 

切角、宿命的な結婚をしても、その生活が幸か不幸か良いか悪るいかは、その人達の「はこび」一つなのです。これが因縁の結婚の場合ですと、お互ひの「はこび」が良ければ無難でありますが、少しでも「はこび」が合致しないと破婚となります。
 

大体、無理に、因縁を尊重しての結婚は、即ち、お前も年だから、先方は良い家だから、財産が学歴が、又は切角良い人が貰ひに来たんだから。お宅も結構なお方達でざあます‼︎今更断はれないだろう‼︎家が釣り合っているからちょうど好いじやないか。
 

これは皆、その当事者の宿命の上にカブサツて居る因縁です。

その因縁だけを「くらべつこ」して さあ‼︎高砂ヤア と結び付ける。
 

簡単に考へても無理じやあありませんか。当事者二人の「はこび」の根底である人世観、愛情の表現の仕方、経済観念××等は、その過去のそれぞれの生活環境から作られたもの。即ち因縁から與へられたものです。