宿命といふもの。


「彼奴は金持ちの家に生まれたから運が良い、俺は貧乏の家に生まれたから運が悪いんだ」と云ふと、相手は又、「宿命と云ふものさ、仕方ないさ」と云ふ。
 

ちょいと待ってくれ、両方とも間違っている。
 

運とは「はこび」だから、天地無差別。

金持の家に生れたから、仕合わせと云ふものが躯の一部分として付いて来て居る訳でもない。

毎日ご馳走を喰べて居る母の子供だからって、丈夫で秀才、コッペやウドンばかり喰べて居る女の生んだ子だから、馬鹿だと云へまい。
 

だから、金持の子は運が良いときめるのは愚の骨頂で、その様に思ひ込む弱い頭の奴には、此の話は通用せぬ。が、金持の子に生れただと云ふ境遇の差はある。確かにハンデイは有る。
 

楽に勉強出来るのは羨ましい。

逆に金持に生れたばかりに、四周からワーワーとチヤホヤされて、ヌーボーのお坊ちゃんに育て上げられて終って哀れな怪物になつてるのもある。

 

大体 金持の処には砂糖の蟻がたかる様におべんちやらが集る。

「お坊ちやま」で皆で持ち上げてくれるから、自然に自分でも大人物で大きな仕事が出来ると思ひ込む。取り巻き運は 左様ゴモツトモで無理を通させる。忠義面で気に入られなければ甘い汁が吸へないから、兎に角、気に入る様にする。

 

さて、堅物の親父が死んで自分が仕事をやると、ワッと寄つてたかって喰い散らす。

何も無くなった頃には、アレ程居た忠義者は一人も残っていない。と云ふ訳だ。

 

その息子曰く、皆ずるい、人情の無い奴ばかり、会社がつぶれたのは、みんな 彼等が悪るいんだ。

そして、今ではその彼等がやつた「ずるさ」だけを覚えていて、自分の処世術にして、アチコチぶらぶらして、迷惑させている。金持に生れて、金持に仕付けられた仕合である。