自転車操業と云ふのもある。

ちょっとでも足を止めると倒れる様に、ヤリクリヤリクリして、倒れない会社である。

こんなのは根本的に修理しなくてはならない。


だから初めから整へなさいと云ふのです。

正しく無理なく組み合わせてあれば、看板はどうでも、時々キリキリとネジを巻いておくだけで安い目覚時計でも二十四時間 良いものは、二週間も自分で気分よく動いてくれます。


上手な経営者は決して無理な組み立てはしない。

だから、社長は一寸顔を出すだけで、幾つもの事業ができる。


禅の極致は、己を、生活を整えることにある。


曹洞宗の道元禅師の典座教訓と云ふのに、この典座とは、禅寺での食事一功の支配をする役目であって、和尚の次の坊主が司る重い役柄で、丁度大蔵大臣兼内閣官房長官の様なもの。

その典座教訓の中に、「高き処に置くものは高きに置き、低きに置くは低きに置け」
 

実に当たり前の事でしかないが、これこそ、禅の生活を端的に示して居るものと思ふ。
 

当り前の事がキチンと出来て居なくては、日常生活も平らに行なはれない。
 

運を拓くと云ふことは、物事が正しく行はれて行くと云ふことである

 

その為には、言葉のはこび、躯のはこび、生活のはこび三つのものを正さなくてはならない。

運とは何か、「はこび」である。