運は「はこび」だ。

特別製の運なんて何処にもころがって居るものでもない。

百貨店にも売っていない。

 

運は毎日、自分の手許に在るのである、「はこび」とは、言葉のはこび、躯のはこびである。

この二つのものの、毎日の使い方がそのひとを幸福にも不仕合わせにも、成功者にも敗残者にもする。

 

本当云ふと、「ことばの使い方」だけが與へられた自由なのである、万事不如意の思ふ様に出来ぬ世の中だが、口から出る言葉の使い方一つで無より有を生じ、白も黒となるし、不幸を幸運とも出来るのである。


言葉は刃物より鋭く相手を傷つけるし、十年の恋も一言で破れるものである、

明るい言葉、優しい言葉を使へば相手も優しく美くしい言葉で應するし、暗い言葉荒い調子なら、人も犬も猫だって傍へ寄っても来ぬ。


普段に明るい言葉、陽気な言葉で居れば人達が寄って来て、協力してくれて万事が明るく陽気に進むし、家の中に陽気な言葉の人が一人でも居れば明るい家庭が作られて居る。

 

若し常々愚痴グチと、陰気な、暗い言葉の人があるなら、誰だって話し相手になろふとせずどうせ彼奴は貧乏性さと、相手にしなくなる、そして、自分は相手がない、淋しい、不運なんだと、訴へて来る。全くその通り。


一杯の酒でもほがらかに機嫌よく呑めば、全く酔って終ふし、三人を相手に四升の酒を茶碗であほって対向的に呑んだが苦しいだけで酔はしなかった。
 

そんなもので、言葉は 魔物である。