運とは何か。


運とは「はこび」の事である。

これに気付いたのは、私の三十八才の時で、それが判ってから、安心して、この仕事に転身したのである。此処に私の易学研究の中心が出来、漸く画龍点睛が出来たのである。以来未だ迷った事が無い。


此の両国に、日本橋の眞ん中、人形町から引越すに付いて借家を改造した。屋根だけある小屋を住めるように改造したもの、大工さん曰く、先生は此処が良いと鑑定してきたんですか、と、良いか悪いか、私にだって判りませんよ、只、此処へ来ることになったから来ただけです。

 

成功不成功は、これから私の「はこび」だけがそれをきめてくれませふ。運が良い悪いでは無く経営の仕方が問題でせふ。と言った事がある。


以来四年、「はこび」が悪かったのか、余りぱっとしない。

何処が悪いのか、自分でもはっきり判って居乍らそれが出来ないでいる。宣伝がきらい、その宣伝きらいを徹底して居る。判って居ても出来ないのが私の根性である。


「根性」とは時の通り「木の根のこころ」で、きの幹枝葉は、人間で云へば、幹が人の躯や態度、枝は人の習慣や技術、葉は人の言語や容色に相当するものとしたら、地の中に這い入って見えない根は人の心情、性格に相当しやふ。


根が弱くては、根が張れなくては大木になれない様に、人間も根性が弱かったり、曲がって居ては大成しないものらしい。


それでも、枝葉が美しければ観賞される盆栽がある様に、人間でもその盆栽みたいのがあるし、夜居の植木の様に根の無いものすらある。