文化の日

 

80年代初めは まだ寒くてな

11月は もう冬に近かった。

 

風は北東の風に変わって オフショアになる。

高知の尾崎海岸(リーフ)で サーフィン

オーバーヘッドサイズ 海面は鏡面のごとく 荒れない。

壁一直線の コンディションなのだが もう海水が冷たい。

波のトップから オフショアで飛んで来る 飛沫が 冷たいのなんの。。。。

 

30分が限界で 上がって焚き火に当たる。

 

「皆 こたつ入って麻雀でもしてるのに ワシらアフォちゃう?」

そう 連れと 話したっけ。

 

 

 

当時は原チャリは ノーヘル

カノは 確か 赤いタクトに乗ってた、

普通の子が 普通に乗ってた。

 

400fk  全盛期でな 連れは乗ってたわ。

ワシも乗りたかったけどなーーー   

暴走族的 あくまで的な事は もう中学で飽きてた

F Xとか 乗れば 上のもんが 貸せ言われて返ってこないし

スズキのGSX250Eと それも連れに数万で売ったか?

借りパクされたんかな?

 

基本 モンキー改88cc   と ジェンマだった。

しかし よう転けたわ。

 

83年も 寒かった。

サーフィンはやらず 彼女 車に乗せて

南阿波サンラインに行ったんよ 当時はまだ

有料道路でな すっげい数のバイクが走ってた。

 

寒かったなぁ 何話してたのか全く覚えてないが

吉野川北岸堤防道路を走って向かってる時だろう

学校の先生(保険)に見つかって

 

次の日に学校で

「なんか楽しそうに車の中で話し してたな」 言われたわ。

車乗ってるのは校則違反なんで

ワシと違う  と否定はした。

 

ハイソカーの時代に 70年代の初代ジェミニクーペ

だからな。。。

スモークなんて貼ってないし 中丸見えじゃわ。

「ゴッツイボロやなぁ」と カノには言われたけど

それでも嫌な顔せず ニコニコして乗ってくれてた。

 

たぶん 南の綺麗な 澄んだ海を見せたかったのよ。

 

なにも持ってなかったし なんの助けも後ろだてもなかった

全てにおいて自己責任で生きてた つうか

生きざるを得なかった 他にやりようが無かった。

いろいろ シンドイ事は多かった気がするなぁ。

 

今の時代なら いくらでも賢いやり方があるのにな。

 

 

それから銭持って いいもの持っても なんだろう?

あの頃のような 感覚じゃないんよな。

全然 幸せ感が湧いてこない  こうじゃない

 

 

虚しいもんよ。

 

 

時代も変わるしのーーーーーー。

 

スーパーエルニィニョとか なんか そうゆう問題じゃなく

気候が オカシイ気がする。

 

今は外資が調子よく リゾート化してるけど

10年後20年後 雪なんざ降らなくなるかもよ?

豪雪のニセコとて わからんて