禅水隠

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人生の本質を見抜く

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悩むも、苦しむも、怒るのも、腹立だしさ、これらは、人間特有の意識によって発生する感情である。生物学的には、ノルエピネフェリンやオキシトシンなどの脳内物質が関与しているかもしれない。したがって、原因他人説では、何時迄も解決しないことになるだろう。

苦しみの原因は、老後や借金、不倫や会社の人間関係、と挙げればキリがない。

これらを受け入れて、悩まないようにしたいものだ、

原因は執着

ギャンブル 依存性、薬物依存、アルコール依存

覚醒剤

これらすべて、一度手を出したら辞められないかのごとく、この類の情報が席巻しているが、果たしてほんとうに依存するのだろか?


依存性イコールやめられないと言う、インフォデミックに惑わされていないだろか?


ギャンブル  は足が洗えない物だと自分に言い聞かせて甘えていないだろうか、酒はストレス解消や睡眠薬だと吹聴して甘えていないだろか、医者で処方された薬も然り、飲まずに死んでしまう薬はない。


私は覚醒剤以外はすべてやったが50歳で全てを辞めた、辞めると別世界が広がってくる。禁断症状は辞められては困る体勢側の言い分だった。


#アルコール依存性

#ギャンブル依存性

#薬物依存


・17:00-18:00 退社
・18:00-18:30 帰宅
・18:30-18:40 風呂
・18:40-19:00   食事
・19:00-20:30    ニュース、新聞
・20:30-22:00 読書
・22:00-00:00 朗読聴きながら、就寝
・4:00  起床
・4:00-5:30 読書
・5:30-6:00  朝食
・6:50 会社到着


1週間は計画的に!月曜日 休みで遊び疲れた身体を4日ほど掛けて、徐々に仕事用の心身に戻していく。月曜日の朝から発奮してる奴を鼻で笑う。
火曜日 木曜日の臨戦体制への準備、木曜日一日で週の仕事が片付くよう、仕事を仕分ける。
水曜日 週の中休み、可能な限り仕事には、手を付けず、やってるフリを演出。
木曜日 最高潮の臨戦態勢で、一週間分の仕事(火曜日の仕分けでかなり省力したはず)午前中に片付ける。
金曜日 休み前日、休みの間に遊ぶ計画、資金繰りを検討する。
土曜日 遊び
日曜日 遊ぶ

友人、上司、同僚、はたまた家族であろうと、嫌な奴等とは、口を利かない、または距離を置く、あるいは話さない。


仕事は食い扶持を稼ぐためには、ある程度許容するための、所謂、我慢が必要だが、会社に魂を売る必要はない。会社にはギリギリ出社して、就業時間のチャイムでずらかろう。


いずれは鬼籍に入る。何事も死ぬほどやることはないはず、嫌なことはやらない。分からない仕事には首を突っ込まない。休みたいときに休めば良い!


いちいち、他人に干渉する必要はない。いちゃもんを付けられても「開き直って」、自分が如何に懶惰に無感情に、そしてよだれを垂らしながら生きる術を考えろ。


50歳を過ぎたら、責任を転嫁し、権限を他人に押し付けていこう。そのかわり言い訳や揚げ足取り、屁理屈を述べる術を身につける為、ロジカルな発言ができるよう、落語と講談で鍛えよう。無理なら、ただ黙っていよう。


なんだかんだ言って、楽に死ぬのが勝ち組。


「三界は安きこと無しなお火宅の如し。」
『法華経』「譬喩品(ひゆぼん)」
『法華経 上』(岩波文庫)198頁

 「不安」はどこから生まれてくるのでしょうか。『仏説無量寿経』には人の生死について、「人は、世間の愛欲の中に在りて、独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来る」と説かれています。私たちは常日頃、死の問題から目をそむけ、死を忘れて生活しています。しかし、死の方は人間を忘れずに必ずやってきます。私たちはいつか必ず死に直面しなければなりません。そのような死に対する潜在的な怖れから、私たちの日常的な不安の気分が生み出されてくるのではないでしょうか。 
 『法華経』には「三界は安きこと無し、なお火宅の如し」とあります。
私たちの迷いの人生(三界)には不安が満ち満ちており、安らぎは見出しがたい。それはちょうど激しい炎に包まれ、燃えさかる家のように、はなはだもろく危険な場所である。


  三界(火宅)とは迷い、不安、苦しみの人生のことであり、それは私たちの自分勝手な欲望や執われという煩悩(火)によって生み出されます。経には、火宅の中に居りながら、火の恐さにも、火宅の危うさにも一向に気づくことなく、遊び戯れているのが私たちの日常的な姿である、と説かれています。
  業縁にしたがって訪れる死を、ありのままに受け入れることができず、自分の勝手な欲望や執(とら)われによって、それを忌み嫌い、無視し、むやみと生に愛着しようとします。そこから不安が生まれてくるのでしょう。私たちは自分の不安や死の問題から目をそむけたり、無視しようとするのではなく、むしろそれと真正面から向かい合うことによって、生きることの大切さに触れ直すことができるのではないでしょうか。
大谷大学のホームページから抜粋ですが「三界は安き事なし火宅の如し」、実際に燃えているのは家ではなく、それぞれの人の煩悩なんです。
その火宅から脱出解決策に、宗教研究家のひろさちや  氏は昇進についてこう書いている。
-ひそかな反乱は 、 地獄を抜け出す第一歩 -
このように 、 まさしく揺り籠から墓場まで競争原理が働いているのが 、 日本の社会な んです 。 わたしには地獄にしか見えないんですが 、 どうでしょうか ? 
地獄に見えてきた人は 、 いち早く抜け出す方策を考えることですね 。 方策と言っても 、 そう難しいことではありません 。 まず 、 「 こんな社会は嫌だなぁ 」 と腹の底から思いま しょうよ 。 嫌だったら 、 唯々諾々と社会にしたがっていることはない 。 
ただし 、 すぐに表立って反旗を翻すべきだ 、 と言うつもりはありません 。 たとえば 、 昇進の辞令をもらって 、 「 部長になどなったら 、 競争原理にますます組み込まれるだけです 。 昇進は遠慮させて いただきます 」 と言え 、 ということではないんです 。 腹の思いをそのまま実行したら 、 現状では手痛 いしっぺ返しを食らうことになります。 とりあえずは 、 面従腹背でいいのです 。 にこやかに 辞令を受け取りつつ 、 腹のなかでは 、 「 部長は引き受けるけど 、 しゃかりきに頑張るなんて気はない 。 権限を利用して 、 仕事 を楽しませてもらうよ 」 
くらいのことを思っていればいい 。 ひそかな反乱は 、 地獄を抜け出す確かな一歩にな ります 。 そして 、 一歩を踏み出したら 、 足どりはだんだんしっかりしたものになり 、 い つかは地獄を抜け出せるんですね 。 

フォロワーのせいだろうか、大概のおじさん、おばさんは、休日になると、寄席に行くか、博打に興じているか、酒を飲んでるか、または、偽善を装ったつもりで神社仏閣を徘徊している。

大漏れなく自分もである、、、


よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいといったところで仕方ない。

現実は事実だ。

出典立川談志師匠が世に残した言葉

{A223C3D6-3200-43B1-9322-A92297B8D972}

東寺 五重塔

種明かししましょう。


寝て起きて、食うて糞して、後は死ぬだけ。(一休宗純)


過去を追うな、未来を願うな!(イエスキリスト)


そのまんま、南無。(ひろさちや)


所詮、人生はひまっつぷし!(立川談志)

結局のところ、頭の固い人が無理な英訳に固執し分かりにくい文章になった。

要は、

社長(工場長)は品質を良くする為の手順を作成して、新入社員でもおっさんでも、同じものが出来、顧客が喜んで欲しく、安心して使える物を作ること。

そのためには、企業の存続、ひいては従業員の家族の存続に向け、良い商品を提供し、従業員の食い扶持を繋ぐ責任を負う。

その為には、儲けなければならず、本業を脅かす、競合調査、異物混入防止、製品検査改竄の摘発に、起きてからでは遅いので、目を見張らせて警備にあたる。


老化したベテランの方が老眼で、検査できないなら、若い人を配備する、その人達の健康保険料が支払えないなら、銀行からお金を工面するために翻弄する。

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「プラシーボ効果」という言葉が、巷に流れて久しい。

本来は、新薬の臨床試験において、薬効が有るのかを確認する上で用いられ、比較対照の偽薬コフォートに同薬効が認められた場合に、その部分の薬理効果を再度検証する賢いシステムであった。

これは暗示的な効果が、皮肉にも自己治癒力や不定愁訴を起こす心身が、如何に大脳新皮質に支配的であるかを示した。

このプラシーボ(偽薬)が転じて、プラシーボ効果が現在は、疑似安定であると言う。

人間の行動は全て疑似安定であり、不安や恐怖心、プライドやコンプレックス、好奇心や見栄っ張りで動いている。

その疑似安定を、宗教に願い、逃避や抑圧する防衛機制を信仰とし、飢饉や天災、疫病や大火、貧困と数々の悲運を乗り越えてきた。

「睡蓮に満願祈り西国巡礼」(拙者)