自分の洞察 (N・T)
 今日のフィーリングリベレーションで、私が不安に掻き立てられる理由に気づいた。それは、自分が感じたくない感情を無視する事。今回は、「寂しさ」だった。それを「感じたくない」とすると、そこで溜まったエネルギーが別の感情に変化する。
 例えば、怒り。自分を攻撃するエネルギーから、同時に人や周りを攻撃するエネルギーに変化する。そうしないと、自分を保っていられないから。感じた「寂しさ」のエネルギーが、はけ口を求めるからだ。
 けれど、無視された寂しさを隠せば隠すほど、隠し続ける為に、もっと大きなエネルギーが必要になる。だから、もっと怒りを感じるようになり、少しでも気を緩める事が出来なくなる・・。そういう心の仕組みなんだな、と気づいた。
  

最近の自分の変化について気づいた事は何か
 何かを選択する時に伴う痛み、を怖れている。そして、何を選んでも伴ってくる痛みを怖れて、何も選択できなくなっている事に気づいた。痛みを感じずに、自分にとって好ましいものだけ感じたい。それは、痛みを感じた時に、自分が立っていられる自信がないからだ。
 そして、最初から、一発で「正解」を選ぼうとしている。「正解」を選べる自分になろうとしている。そういう自分になれば、「正解」を選べ、痛みを感じないはずだと。
  けれど、どこか、いつか自分が選べるはずの正解を探すのではなく、自分にとって今あるものを正解にする、そうする事は出来ると感じた。「正解」は、最初か ら選べるものではなくて、「自分が歩んでいく中で正解になっていくんだ」、「自分が選んだことが正解なんだ」、そう思うようになった。
 フィーリング・リベレーション (N・T)

(自分の洞察) 
父が他人の子ど もに笑顔を振りまくのに自分には笑いかけない姿を見続けてきたことで、自分は父に嫌われてるかもしれないという不安にかられ、この人に好かれるにはどうす ればいいかが自分の表現や選択の基準となり、それが今なお他人に対しても同じような反応をもたらしている。
 
(最近の変化)
行動や選択の 際、これでいいのかという不安に駆られるときがある。選択の結果の不安ではなく、それが周りの目にどう映っているかという不安である。だがそのとき自分で いう。「これでいい。やりたいようにやれ!」すると、なんてばかばかしい事気にしていたのかと気持ちが軽くなり自信が湧いてくる。今日も新しい発見ができ て嬉しかったです。

「今日のワークショップ&クラスで学んだ事
●個人の課題~猫~
  動物を通して役に変身する訓練  (N・T)

 ミユキ先生に頂いたサジェスチョン。リラックスでは、もっと不用意になる、自分の抑えが効かなくなる所を探す事。
 「猫」では、「出来ているのに、その感覚や世界に流されていく事、浸っていく事を、どこかで抑えてしまう。そのまま行っていいのに・・」という事でした。
 ミユキ先生が言って下さったように、前にヤンキーのシーンをやった時のような、自由な感覚でいたい、という気持ちが常にあります。あの役は、私の本来の性質やキャラクターに近いんだろうと思います。

私の中に、「行きたいけど、行きたくない」という相反する感覚があります。それは、「行けるけど、行かない」という感覚でもあり、もっと正確に言うなら、
「行けると思ってるけど、確信が持てない」という感じです。「行けると思うんだけど、足りない部分が見える。感じる。」から、「行けないだろう」という感
じです。
 やはり、私にとって、「条件を満たす」事が大切な基準になっているんだな、と気づきました。その条件は、自分が自分に課したもので、それを超えたり達成したら、自分に許可が下りるのです。それが私の、「自分が得たいもの、感じたい感覚を感じていい条件」になっています。
 自由にその基準を変えていいし、全ては自分が決めているんだと気づきました。
                                                                    以上です。

ミユキ先生へ
お読み頂き、ありがとうございました!
「知らぬ間に身につけてきた自分の基準」・・これが自分を縛っているんだなーと気づきました。
来週も、どうぞ宜しくお願い致します^^
   

自分の洞察 (I・Y)

私はずっと「幸せを感じたい」「ホッとしたい」「安心したい」と思ってきたけれど、それは「○○が出来たら」という条件付だった事に気がついた。「もっとちゃんとしたら」「もっと人と上手く付き合える自分になったら」「もっともっと・・」。「幸せ」や「安心」の感覚は、時間やお金や能力的に満たされてからじゃないと、感じてはいけないものだと自分に禁じていた。それに気づいていながら、ずっと手放せないできた。
 けれど、それを感じていいんだと自分に許せるようになった。そうしたら、自分がやっていた事の多くが、本当にやりたい事や体験したい事ではなかったと気づいた。そして、それらの代わりに、やりたい事が浮上してきた。それらは今まで、「役に立たない」「バカバカしい」「自分には縁がない」と思ってきた事ばかりだった。
 実際に、これが何かの役に立つかと言われたら「?」だし、自己満足の世界だけれど、それでもいいと感じた。そういう事を、ずっと自分に禁じてきたからだ。幸せを感じていられる小さな事を、大切にしていこうと感じられた。



最近の自分の変化について気づいた事は何か
 人といる時に、緊張感が減ってきた。また、人からも「硬さが取れたね」「優等生っぽい感じがなくなったね」と言われるようになってきた。自分でも、「そうだなあ」と感じる。

また、「やりたい」「やろう」と感じた事をパッとやるようになった。些細な事でも心が動いた事を放っておくと、そこでエネルギーが止まって澱みが出来て、
次から次へと色んな想いや事が溜まっていくのを感じた。スッとやると、エネルギーも想いも、スッと流れる。そしてその空いたスペースに、別のものが流れ込
んでこれるようになると気づいた。

(自分の洞察)
直面する事実を無視しようとする。自分のこととしてとらえようとしない、認めようとしない気持ちが働く。私
自身のこととして直面できるようになってきている。それを受け入れるか、いれないか、それに気づくか、気づけないかということだけだ。愛するということに
対して、受け入れがたい経験があった。認めると愛を受けられない気がした。ごねたり、ぐずったりした方が母からの関心を得られたからだ。しかし、私は愛を
表現したい。自分から伝えたい。過去のクセを取り除き、本来の自分に戻りたい。
 (最近の自分の変化について気づいたことは何か)
私であることを強く意識するようになった。自分らしいこととは何か。私が本当にしたいことは何か。したいことを妨げているのは何か。迷いながらも本来の自分に近づきつつある。私が私であること。

自分の洞察(H・S)

  

子どもの頃は、「どうしたらいいか分からない」という現実に対処できなかった。でも、今もそうだという事ではないんだと気づいた。自分の力では、変えられない事もある。死や、誕生や、人の気持ちなど。
 けれど、大人になった今の私には、それを受け入れる事や、「どうしたらいいか分からなくて不安」だという自分に気づく事が出来る。
 私にとって、自分の気持ち(感情)を無視されたり、大切に扱われないという事が、とても傷つくんだと気づいた。特に、不安や悲しみ、という感情が大切に扱われないと、それが更に不安や悲しみを増幅させていく。
 そこには、「私は、この感情を抱えきれない」「私は、この現実を受け止める力がない」「こうでないと、私は幸せではない」という、自分自身を疑い、決めつけの幸せに固執する意識があると気づいた。
 それは全部、幼い頃の私だ。今は、充分に自分で自分の感情を受けとめられる。成長させて行く力もあるし、自分自身も、人も幸せにする力がある。そこから、色んな事が始まるんだ、という感じがする。


自分の洞察 
 感じ方も表現も、自由でいいんだと気付いた。今まで、どこかに「こうあるべき」というものが、自分の中にあった。それは、どこかで「正しい」と思ったものであったり、スゴイ人が言ってたりやってたりすることだったり、多くの人がやっていることだったりした。
 今も、私の中にたくさん「あるべき」がある。表現にしても、考え方にしても、行動にしても。それを、「早く無くさなきゃ」「あるべきが無い人間になろう」としてきた。
 けれど、「あるべき」が無い人間にならなくてもイイんだと感じた。「あるべき」に違和感を感じたり、そうでないといけないと感じている自分に気づくことが出来て、それを止めたいと思った時に止められる自分であればいいと気づいた。

最近の自分の変化について気づいた事は何か
 幸せや、充足感や、「自分は愛されている」ということは、求めなくてもいいと気づいた。「いつも自分の身近にあって、それに気付くだけ」とは、良く言われることだが、本当にそうだと感じる。
 人がどう言おうと、どう見られようと、自分をごまかす必要はないんだと気づいた。素直に、自分の心の感覚のまま生きて行っていいんだと、やっと身体で感じることが出来るようになってきた。


自分の洞察
今日のフィーリングリベレーションで、自分が、「私の感情には価値がない」と感じてきたことに気がついた。お母さんに置いていかれた時のイメージは、その象徴だと感じた。私にとっては、大切な悲しみや苦しみでも、それはお母さんにとってはどうでもいいんだ、と感じていた。私は、「大切に扱ってもらいたい」と感じていたけど、それが叶わなくて、どんどん自分の感情を感じること、表現することを抑えるようになったのだ、と気づいた。
 その追体験を通して、私が、「自分の感情はとても大切なもので、大切に扱いたいんだ」と感じていることに気づいた。同時に、大好きなお母さんにも大切に扱ってほしかったんだ、と気づいた。私の大切なものを大切にしてくれないなら、愛してないんだ、そう感じてきた。子どもの頃から、そのことを上手く伝えられず、ただ抑えてきた。「分かってもらいたい」、その気持ちは今も変わらずにある。
 でも、誰かに大切にしてもらおうとそうでなかろうと、私の感じていることは大切なんだ、と気づいた。誰かに大切にしてもらうから価値がある訳でも、ない訳でもない。ましてや自分に価値がない訳でもない。愛されていない訳でもない。自分が「大切だ」と感じたこと、それを大切にすることだ、と気づいた。


最近の自分の変化について気づいた事は何か
 日常生活で、「怖いけど、一歩踏み出す」ようになってきた。今までだったら話しかけないけど声をかけてみたり、今までだったら言わなかったことを言ってみたり、やってみたり。
 その結果、色んなことが起こったり感じたりするけど、まずは「踏み出した」ということが一番大切だと気づいた。一歩踏み出すと、次の一歩を踏み出してみたくなる。「踏み出した」こと自体が、自分の自信になっていく。
 そして、周りが流れ始める。流れ始めると、自分自身を自分だけで見つめていた時よりも、自分のことが見えてくる。大切にしたいことも、浮き彫りになってくる。怖いけど、一歩踏み出してみるって、楽しいなと感じた。


自分の洞察
 私は、お父さんやお母さんが大好きで、それだからこそ自分を責めてきたんだと気づいた。ずっと、二人の事を「恥ずかしい」と一時でも感じてしまった自分を責めていた。
 でも、それを感じ取れた。「恥ずかしい」と感じた自分も、「いいじゃん」。抱き締めて、笑えた。大好きだけど、恥ずかしいと感じる事もある。それは、ただ流れていく感情なんだと気づいた。



最近の自分の変化について気づいた事は何か
 最近、自分が伝えられるのは、自分が体現しているものでしかないと気づいた。どんなに言葉で伝えようとしても、どんなに分かってもらおうと必死になろうと、自分がそう生きている事や、感じている事や、そう在る事でしか、本当には伝わらない、と感じるようになった。
 何かを伝えようと必死になる事に意識を向けるのではなくて、自分がそう生きる事に集中する。「伝わっているか?」ではなく、「そうで在るか?」にフォーカスする。軌道修正するのは、人でなくて自分。それが結果的に、人に伝わったり、何かのメッセージになる。
 それは、演技と同じだと気づいた。お客さんに「これを伝えよう」とアピールするのではなくて、役を生きる事に集中する。人生と演技は、やっぱり深く繋がっているんだなあ、と感じた。