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全国障害者問題研究会

54回全国大会 基調報告(案)      202073

 

                                  常任全国委員会

 

 

<はじめに>

 人と人が語りあい、向かいあって暮らすというあたりまえの日常に制限を受けた数か月でした。この間、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の拡大という事態の中で私たちが経験した日常とは異なる生活は、子ども、大人の年齢を問わず、障害のある人びとと家族に、はかりしれない不安と困難をもたらしました。不安や困難の背景には、この感染症に対する処方箋がないということに加えて、すべての人の生きる権利を保障するはずの社会福祉・社会保障の制度の脆さが日に日に明らかになってきたということがあります。そうであるなら、どんな困難があったのか事実を出しあい、記録し、話し合うことは、予想される次の感染への対応にとどまらず、障害のある人びとのいのちとくらし、発達を保障する土台を改善する提起につながると考えます。

 ここで3月から、私たちの周りで起こったことをふり返ってみましょう。

またたくまに世界中に広がった新型コロナウィルスによる感染症に対して、WHO311日、世界的大流行(パンデミック)を宣言、各国政府はそれぞれに人びとの社会的活動や経済活動を制限する対策を実行しました。ウィルスについて科学的解明が続けられていますが、いまだ決定的な治療薬、ワクチンは開発されていまいせん。感染の広がりは世界的規模で格差を浮き彫りにしました。医療体制の不備のもと「経済優先」に舵をきる国も増え、6月末には、世界の感染者数は1000万人を、死亡者は50万人を超えています。

日本では、227日の夕刻、安倍首相による突然の一斉休校要請に始まり、47日には、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法によって「緊急事態宣言」が出され、以後、全国的には525日まで、生活全面にわたる規制が強いられました。

この事態の中で、全障研は、まず32日に「緊急声明」を出し、障害のある子どもと家族のもつ特別の困難に照らして、一律の休校を求めることの問題点を指摘し、要請の撤回を求めました。そして障害のある子どもと家族の健康と生活を守る方途を、国民的な英知の結集と議論によって検討していくことをよびかけました。

さらに「緊急事態宣言」から1ヵ月を経て、「補償なき自粛要請」への批判が高まるなか、59日には「声明=新型コロナウィルスをめぐる情勢の下で障害児者の権利を守るために」を発表しました。この声明では、社会福祉の仕組みの決定的な弱さが障害児者・家族に困難をもたらしていることを指摘し、乳幼児の施設や事業所、学校と放課後支援、児童および成人の施設などそれぞれにおいて、障害児者とその家族、障害児者に関わる人たちの「人間的な諸権利を守り、発達を保障することが必要だ」と訴えました。

2つの「声明」に呼応して、全国からたくさんの報告が寄せられました。

 密になる集団生活をさけるために学校は休校とされる一方で、児童発達支援や放課後等デイサービスの事業所は開所を求められ、しかも感染防止のための方策はすべて事業所任せだったこと。卒業生を送り出し新入生を迎える大事な時期であったにもかかわらず、感染対策のみが優先され、子どもの気持ちに寄り添った活動を準備することすらままならなかったこと。在宅生活による生活リズムの乱れ、活動や集団が保障されないなかでの行動の不安定化などが家族から訴えられても、十分議論できない日々を送らざるを得なかったこと。いずれも、マスコミ報道には取り上げられることのない障害児・者と家族がかかえる困難から生じた問題ばかりでした。

「緊急事態宣言」後の4月以降は、児童発達支援、放課後デイ、作業所などの障害福祉事業所は、利用控えが顕著になり、事業継続の危機に直面しました。厚生労働省から電話などでの支援も報酬の対象となるという事務連絡が出されましたが、これにたいする疑問を感じながら、障害のある人への支援とは何か、それを支える制度はどうあるべきかという課題にいっそう向き合い、多くの事業所が事業を継続してきました。こうしたなかで、支援の対価としての日額報酬制という制度への批判が高まっています。

以上のように、まさに「コロナ禍」によって、国民生活を守る制度の脆さから矛盾が噴出したなかにあっても、政府は社会保障全般にわたる公費抑制をもくろみ、自助・互助・共助を基本とする「全世代型社会保障改革」にもとづいて、年金法、社会福祉法などの「改正」を強行してきました。

3月、津久井やまゆり園事件の裁判が終結しました。裁判では、「障害者は生きる価値がない」という被告の主張を正面から問うことがありませんでした。しかし、いま未解明の感染症とそこから生じた不安の拡大という状況のもとで、「すべての命は平等」であるという価値はますます重要になっていると思います。このことを基盤にした社会をめざす運動をすすめていかなければなりません。

 私たちは、どんな情勢の下でも、人間のいのちと尊厳を軽んじる考え方や社会のしくみを断固として否定します。憲法と障害者権利条約の理念を地域のすみずみに広げながら、だれもが安心して生きられる平和でインクルーシブな社会の実現にむけて、みんなのねがいと力を重ね合わせて、発達保障をめざすとりくみをさらに進めていきましょう。

 

 

Ⅰ.乳幼児期の情勢と課題

 

(1)登園できなくてもつながる療育

 感染が拡大するにつれて、保育園や幼稚園、児童発達支援の施設に通い、楽しい時間を過ごすという子どもたちの日常が消えていきました。3月、学校と同様に休園になる幼稚園がめだち、4月の「緊急事態宣言」以降は、保育園にも登園自粛の要請があり、子どもにとっての日中の生活と集団の基盤が揺らいでいきました。児童発達支援の施設(センターや事業所)は感染予防に努力しつつ可能な限り開所することが求められましたが、保護者の判断で登園を自粛する、事業所として登園制限や臨時休所を選択するという場合もありました。

 友だちと遊ぶのが苦手、好きな遊びが見つけられないといった課題があるから、保育園や療育の場に通っていた子どもたちです。登園できなくなったとき、子どもに対してどんな支援ができるのか、各地で模索がつづきました。一方では、コロナ禍をも好機にしようと、オンラインの個別支援と称して動画や教材を有償で家庭に提供する事業者もあらわれました。

コロナ禍のもとにあっても重ねてきた実践の中には、今後の感染対策に引き継ぐべきことだけでなく、保護者・家庭への支援の基本として大事にしたいことがたくさん含まれています。少しでも楽しく過ごせるよう、子どもの心身の状態を把握し、工夫を凝らして試みた在宅生活における子どもへの支援について、経験を交流していくことも必要だと思われます。

 

(2)保護者への支援

父親が在宅勤務になった家庭では、家族一緒の時間が格段に増えました。しかし、障害のある子どもたちにとって、ふだんと異なる日課や家庭での暮らしはストレスとなる場合もあります。保護者からは、つい強くしかってしまう、適切でない対応になる可能性もあるという切実な声が聞かれました。在宅支援は、保護者にたいしても大切な支援であり、実践的な検討をしていかなければない課題です。

一方、厚労省や自治体が出す事務連絡では、保護者や子どもがコロナウィルスに感染することは、ほとんど想定されていませんでした。感染への不安は、障害の重い子どもや医療的ケアを必要とする子どもがいる家庭ではさらに深刻です。子どもを対象にしたショートステイの場の整備などが緊急に求められています。

 障害のある子どもを育てる保護者の就労困難は以前から大きな問題ですが、今回のコロナ問題は家計にも大きな影響を与えました。

 

(3)事業所を守る

育ちを守り育てる療育の場では、まさに療育者と子どもが身体と心を通わせ働きかける場であり、「3密」状態を避けることは不可能といっても過言ではありません。療育の場が安心安全とはいえない状況が生まれました。

感染に配慮しつつ開所し続けても通園児が5割を切った、とうとう1名になったといった事業所もあります。楽しい集団療育ができないだけでなく、通所する子どもの人数の減少は、事業所の減収に直結するので園の運営そのものが不安定さの度合いを高めました。子どもが通園した日にしか公費が支払われないこの制度は職員の雇用をも不安定にしています。

厚生労働省の事務連絡にもとづいて電話などで支援をする場合には、支援計画等の書類を作成し、事前に1割の費用負担があることを保護者に了解してもらうことを徹底するよう求められ、自治体によっては、支援の内容や書類に細かい指示もありました。支援をしたら報酬を出す、利用料は応益負担という障害福祉制度ゆえの問題に、多くの事業所が戸惑いを感じたのが現実でした。

 

(4)乳幼児期の総合的な発達保障を

 今年2020年は、20212023年度を期間とする第2期障害児福祉計画にむけた施策の見直し期にあたります。厚生労働省は、2020年度までに「重層的な地域支援体制の構築」を目指し、児童発達支援センターを市町村に少なくとも1カ所以上設置するという目標を掲げていますが、実現に向けた特別な方針がないまま市町村にまかされています。子どもと保護者のねがいを障害児福祉計画に反映させるよう地域の自立支援協議会児童部会などで議論し、計画策定に参加していくことも重要です。

乳幼児期の支援は、母子保健施策である乳幼児健診と結んだ総合的なシステムが求められますが、ゆとりのない職員体制のもとで保健センターにおける障害の発見から対応、療育への橋渡しの機能低下が危惧されています。全障研大会では、すべての子どもの健康と発達を保障するという視点から子育て支援の枠組みを発展させ、早期療育へつなぎ、親子を支える仕組みを充実させている自治体の取り組みが毎年報告されています。そうした実践に学びあうことを大切にしたいと思います。

 

 

Ⅱ.学齢期の情勢と課題

 

(1)突然の休校要請の下での子どもたちの暮らし

 227日の夕刻、全国の学校の職員室では大きな不安と動揺、混乱がもたらされました。首相による全国一斉休校要請の突然の発表、そこからの数日間、学校は対応に追われました。卒業や進級という一つの大きな節目を控え、次のステージに向けて期待や意欲を高めていこうとする子どもたちの気持ち、その学年、学級、学校生活の残りの日々で、子どもたちに何を手渡していくのかという教職員の思いは、まったく突然に、そして一瞬にしてやり場を失うことになりました。首相とその周辺による強行的な決定は、多くの自治体や学校から、教育的な判断を主体的に行う機会を奪い、子どもたちはその間、教育を受ける権利を保障されなくなったのです。

 3月に入ると、休業補償等の手立てに関する十分な検討もないまま強行された休校によって、多くの障害のある子どもたちとその家庭は、日中をどうやって過ごすのかという問題に直面します。休校要請に際して、厚生労働省は放課後等デイサービスに対し、「可能な限り時間を延長して子どもたちを受け入れること」という事務連絡を出しました。感染拡大予防という一斉休校要請の趣旨と大きく矛盾する課題を、福祉の現場に丸投げしたのです。放課後等デイサービスの事業所では、午前中からの体制づくりに突然直面させられ、職員の不足や職員家族の負担、マスクや消毒液の不足、公共施設が使えないなどの多くの困難と向き合いながらも、子どもと家庭の困難さに応えようと、必死の努力を続けました。4月の「緊急事態宣言」以降も、公的責任に基づく根本的な手立ては示されることなく、各地域や現場レベルでの工夫を強いられている状況が続きました。

「緊急事態宣言」解除後にいくつかの自治体等で取り組まれた調査などでは、子どもたちの家庭での生活の困難の実態や、放課後等デイサービス事業所が直面した困難の実態とともに、学校と家庭、また学校と障害児支援事業所との矛盾が、「学校に見捨てられたような気がした」「学校は何もしてくれなかった」など、悲鳴のような表現で指摘されています。5月に公表した全障研の声明は、この間の施策が、「教育と福祉の関係性に大きな歪みをもたらした」と指摘しました。この歪み正し、障害のある子どもと家族、関係者の人間的な諸権利を守り、発達を保障するための具体的なとりくみが緊急に求められています。

 

(2)学校に「行く」ことの意味を問い返す

 昨年、障害を理由に、長きに渡って教育を受ける権利を奪われてきた人たちの、「学校に行きたい」「学びたい」というねがいを結実させた養護学校義務制実施から40年を迎えました。全障研しんぶんでは「義務制実施40年を考える」と題し、20196月から7回にわたって、義務制実施までの道のり、そして義務制実施以降のさらなる教育権保障の道のりを辿りました。すべての障害のある人たちの義務教育実現を大きな基盤としながら、さらに障害の重い人たちの教育内容の深化、後期中等教育の保障、卒業後の進路保障と作業所づくり、さらなる学校設置運動の広がりなど、教育の豊さの広がりはもとより、障害のある人たちのライフステージ全般にわたる豊かさを求め、実践と運動を地道に積み上げてきた歴史に学ぶことができました。

 どの子も学校に行けるようになってから40年を経た今年、日本の多くの地域で、子どもたちは3ヶ月もの長きにわたって、学校に「行く」ことを奪われました。そうした事態の中でも、全国の少なくない教師たちは、子どもと家庭の状況をつかみ、子どもたちが少しでも笑顔で過ごせるようにしよう、わずかながらでも発達を保障しようと、家庭訪問や電話、手紙などを用いて連絡をとり、学校生活の中で、子どもたちが好きになった歌のCDを届けたり、絵本の読み書かせや身体を楽しく動かすための動画データを配信するなど、さまざまな努力を続けました。

 障害のある子どもたちにとって、学校は「学ぶこと」をただ受け取るだけの場所ではありません。子どもたちは、「学校」という場所に毎日通うことで自ら生活リズムを作り、自分に合った環境で心身をリラックスさせ、適切な運動の機会をつくり、友だちや先生との人間的なかかわりをつくっていくのです。そうした毎日の生活の中で、子どもたちは学校でしか学べないものに出会い、自分自身がよりよくなりたいという「ねがい」を育みます。学校でしかできないこととは何か、子どもたちにとって、学校の価値はどこにあるのかということを改めて問い返しながら、再開後の学校と、そこで営まれる子どもたちと毎日の生活の質を吟味する必要があります。

 

(3)「再開」後の学校の「学び」をめぐる問題と教育政策

 しかし、登校が再開されつつある今、学校は、子どもたちの「ねがい」に応えうる場所になっているでしょうか。学校行事の中止や縮減の一方で、7時間授業や土曜登校、夏休み登校など、授業時数の確保や「遅れを取り戻す」ことばかりが一面的に強調されてはいないでしょうか。

安倍政権が推し進めてきた教育改革、さらには今年から小学校、特別支援学校小学部で本格実施となる学習指導要領では、「何ができるようになったか」「学んだことをどう使えるようになったのか」という視点ばかりが重視されます。そこでは子どもや親、そして教師の「ねがい」から実践を構想するのではなく、短期での目標達成や行動の変容のみをターゲットにした実践を助長させるような「評価」と、一面的な社会からの要請の影響を色濃くうけた「教育目標」が教育現場に押しつけられ、そのことに教育実践が縛られようとしています。

2019年度から開始された文部科学省「新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議」は、6月末に「これまでの議論の整理(案)」を示しました。この文書には、障害のある子どもの保護者や教職員が長年要求してきた特別支援学校設置基準の策定に初めて言及するなど、ゆたかな権利保障をめざす声の高まりを反映したと見られる箇所もありますが、特別支援学級と通常学級の「交流及び共同学習の拡充」と称して、「ホームルーム等の学級活動や給食等については原則共に行う」等の一面的な方向性を示したり、「自校通級を進める」との名目の下に「ICTを活用した遠隔による専門的指導」を例示するなど、子どもたちのゆたかな学びと生活へのねがい、子どもと寄り添い、子どもの事実から実践を構想しようとする教師のねがいに背く危険性もはらんでいるとみられます。特別支援教育をめぐる今後の政策動向に直結する動きとして十分な注意を払う必要があります。

 

(4)自ら考え、行動できる教職員集団づくりを

 長期にわたる休校とその後の学校再開の動きの中、学校と福祉がこれまで以上に連携を深めながら、子どもたちの生活を少しでもよくしよう、家庭やそれぞれの現場の負担を軽減しあおうという動きも見られます。子どもの家庭や生活の状況をつかもうと、従来以上に密に連絡を取り合うようになった学校や福祉事業所の事例もあります。休校期間中、体制の不足する福祉事業所に応援に入った学校や、学校施設を家庭や福祉事業所に開放した自治体、学校もありました。こうしたとりくみは、行政上の障壁や教職員集団の合意形成の困難などに制約されて、いまだ多数とはなっていませんが、困難な状況の中でこそ、障害のある子どもたちの権利を守るために何ができるか、現場レベルで話し合い、考え合うことの重要性と、そうした努力を重ねることで、少しずつでも困難を切り拓いて前に進めることを私たちに教えています。

教職員集団が「集まる」ことが強く制約された経験を経て、「集まる」「語り合う」ことの価値を、再発見している人たちは少なくありません。今年度の『みんなのねがい』の連載「出会いはタカラモノ 子どもから教えられたことばかり」の冒頭で、著者の佐藤比呂二さんは「私の教師人生は、子どもから学んだことの積み重ね」だと記しています。子どもたちの教えてくれるタカラモノを一つ一つ大事に掬い取ることができるように、そしてその「価値」を決して手放すことのないように、みんなで語り合いながら、子どもの「ねがい」に応える授業づくり、教育課程づくりを進めましょう。「働き方改革」と「コロナ対応」などの名の下、再編される行事や教育活動についても、「子どもにとっての値打ち」をしっかりと語り、現下の状況に即して創造できる教職員集団づくりを進めましょう。