Ahimsa

Ahimsa

Ahimsaとは日本語に訳すと『非暴力』といいます。
他人やモノに対してはもちろんのこと、自分自身も傷つけてはダメという意味です。
どうか自分自身を認め、優しくなれる人が増えますように。

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テレビのニュースで取り上げられることって、

珍しいから取り上げると思うのですが、

それにしたって悲惨さが増している気がする。

 

江戸の時代には侍がいて自国の中で戦いがあり、

明治になると幕府から政府に変わり外国との戦いになった。

昭和になれば敗北し、平成になれば一気に時代も動いたように思う。

 

どれも『平和』や『良き暮らしのために』があったと思うのだが、

どんどん生きづらくなるのは何故だろう。

 

遠い昔と比べると格段に現在の方が暮らしも便利になったし、

制度も整っているはずなのに、

なんで悲惨なニュースは後をたたないのかな。

 

ヨガインストラクターの資格を取るときに、ヨガの概念を学ぶことができた。

一言ではぜんぜん言えないし、

こうしなさいと押し付けることもできないけれど、

忘れちゃいけないことがあるんだと思う。

 

どんな人でもすでに幸せは持っているということ。

 

よく「幸せになりた〜い!」と叫んでいる人がいるが、

すでに幸せなのだ。

 

どんなにつらい状況に居合わせたとしても、

それでも幸せなのだ。

 

つらいのは肉体だけで魂は幸せを持っている。

 

とまぁ、こんなことを言っちゃってますが、

宗教っぽくてわたしは苦手なんだけどね。

 

でも、言わんとすることは分かる。

 

現在がつらいから、悲しいから、憎いからって暴挙に出てはいけない。

それとこれとは話が違うってこと。

 

お願いだから忘れないでほしい。

そして、それを行うことによって自分自身までも傷つけることも。

 

 

 

また起きてしまった虐待死。

このテーマを取り扱うのは本当につらいし、

わたしなんかが言っていいこととも思いませんが、

経験者として何か伝えられることがあるかもしれないと思って書いてます。

 

読んで過去を思い出してつらい気持ちになる方などは、

無理に読まなくていいです。

 

勝手な日記です。

 

 

わたしは京都出身の母と、

茨城県出身の父との間に生まれました。

 

父は母より8歳上の元暴走族の総長だったとか。

 

母は、厳しい家で育てられ真面目に生きてきた人間です。

(わたしが言うのも変ですが、本当に素直で純粋でかわいい人なんです)

 

 

わたしには兄が一人いて、わたしが生まれるまでは東京で暮らしていたそうです。

東京での仕事は芸能事務所で裏方のスタッフとして働いていたそうですが、

その後、当時知り合った仲間と一緒に会社を立ち上げ、

でも結局その仲間に裏切られ借金だけ背負わされトンズラされたそうです。

 

当時、まだバブルで借金もなんとかなり、

改めて名古屋に宝石業として本社を構えることができ、

順調に会社も成長していたと聞いてます。

 

 

わたしはその頃に誕生し、

幼少期〜中学1年の5月までは名古屋で暮らしていました。

 

わたしの1番古い記憶は別記事に記載してありますが、

わたしから見た父の記憶は

『乱暴で自分勝手な人』

これに尽きると思います。

 

ですが、わたしがその違和感に気づいたのはもっと後で、

母がようやく離婚を決意し、実家のある京都に戻ってしばらくしてからでした。

(これについてはまた後日書こうと思います)

 

 

父は、お金にものをいわせて部下を脅したり、

愛人を何人も囲っていました。

 

そんなことばかりしている所為か、結局また部下に裏切られ、

お金を持ち逃げされることもしばしば。

 

その都度、わたし達家族への暴力は加速していきました。

 

 

言葉の暴力は毎日。

母には飲み物の入ったガラスのコップを顔面に投げつけたり、

兄には髪の毛を掴んで振り回したり、

わたしには性的虐待も含め、痛みを感じなくなるまで殴られたこともありました。

 

 

こんな生活が13年間続き、

ようやく母も勇気を振り絞って夜逃げすることができました。

 

 

この続きはまたこんど。

 

 

 

結局何が言いたいかというと、

これ以上理不尽で死んでいく子どもを増やしたくないのは勿論のこと、

同時に、傷つけた側である大人を助けたい。

 

 

偽善者と言われてもいいや。

わたしがされてきた13年間は事実だし、

そのとき感じた気持ちも誰にも変えられないから。

 

ニュースをつけると、

また悲しい惨事が立て続けにあって、

どうしたらいいんだろう。

 

たぶん、ちゃんとSOSは出してるはずなんだよね。

なんで誰も気づかないふりするんだろう。

それとも本当に気づいてないのかな。

胸がきゅってなる。

 

気づいていない人たちに向けて

『SOS出してんだから気づけ』

と言っても遅い気がする。

 

だって、私がそうだったけど、

本当に死にそうになってからやっとSOSを出すんだよね。

でも大人は何かに忙しくて気づかないの。

それで、どこかで諦めの方が強くなっちゃう。

 

やっとの思いで助けてほしいってアピールしてるのに、

なんの不幸なのか、

『え?あなたが?あんなに元気なのに?うそでしょ?』

という反応が多い。

 

どこに目がついてんだって。

幻覚でも見てんのか?

脳内で勝手にすり替えられている事実。

 

こんな現実があると、

そりゃあ疲れてガッカリして死にたくなるもんよ。

 

でも、今死にたいと思ってる人、そこでもう一度思い出してほしい。

 

なんで自分が死ななきゃいけないの?

死ぬ理由本当にある?

死んでどうするの?

死んだあとは何が残るの?

 

この世の中は確かにバカばかりだ。

自分のことしか考えないような奴なんて腐るほどいる。

でも、そんな奴のために死ぬなんてもったいない。

結局バカな人はバカのまま心貧しく死んでいくんだから、

こちらは心豊かに長生きしてやりましょうよ。

 

アーユルヴェーダやヨガでは

100歳になった途端、世界が幸福に満ち溢れるそうです。

本当か嘘かは100歳にならないとわかんないけど、

それまで気にしていたことがすべてどうでも良くなるんだろうね、きっと。

でも、それって意識の問題な気がするので、

自分自身でどうにでもできるってことだよ。

 

心を豊かにするのも、貧しくするのも

自分で変えられる。

人に変えてもらおうなんて贅沢なこと考えるのはやめよう。

誰かに依存するんじゃなくて、

自分でどうにでもできる。

 

今すぐ死にたいと思っても、ちょっと待って。

死にたいと思う環境にいなければいい。

学校も仕事も家も逃げればいい。

 

私の持論だが、

何か自分でアクションを起こすと必ず良いことが起こるよ。

 

我慢も確かに必要だけど、もう十分したでしょ?

今度は自由に選択していこう。

孤独がこわい?

孤独は何のしがらみもない自由だと思うけどなー。

 

みんな自分自身を充電できるといいね。

 

 

長々と書いてしまった。

ぜんぜん関わりもない知らない人たちだけど、

自殺のニュースはつらい。

 

私も理不尽なめにいっぱいあってきた。

でも、そこで誰かを恨んでも仕方のないこと。

恨むと、今度は何の関係もない誰かに同じ仕返しをしてしまう。

それも無意識に。

 

人間の愚かさが出てしまう場面だと思うけど、

本当に無意識に仕返しをしてる人は沢山います。

 

そんな人間にならないためにも

誰かのせいにしたり、恨んだりするのはやめよう。

 

もう十分幸せになる準備はできてるよー!