自分のバイブルは老荘思想だった。 | 神と仏と日本史

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歴史 神道 仏教 仕事への思いをひたすら書き綴ります。
歴史は日本史が特に好きで南北朝や室町・戦国時代が一番好きです。
ちなみに幕末は断然佐幕派です。

新年になった。

生活は変わらず。

相変わらず仕事があり、子育てや家事をした後に自分の好きな事をしている。
ただ、お正月は実家に行ってプレステ持参!

皆が寝た後に一人でやったなあ、、、

やはり実家ではダラダラできるし、夜更かししながらのゲームは楽しい。

そんなお正月から時間がある時は読書。

読む本は老子。

昔は自己啓発系も読んでいたが最近は専ら歴史、宗教(神道、仏教)、老荘などの思想書。


ん〜良いなあ、、、

落ち着く。



では好きな所をご紹介します。


老子 第二十五章

何かが混沌として運動しながら、天地よりも先に誕生した。
それは、ひっそりとして形もなく、ひとり立ちしていて何物にも依存せず、あまねくめぐりわたって休むことなく、この世界の母ともいうべきもの。
わたしは、その名は知らない。
かりの字をつけて道と呼び、むりに名をこしらえて大と言おう。
大であるとどこまでも動いてゆき、どこまでも動いてゆくと遠くなり、遠くなるとまた元に返ってくる。
道は大なるもの、天は大なるもの、地は大なるもの、王は大なるものである。
この世界には四つの大なるものがあり、王はその一つを占めている。
人は地のあり方を手本とし、地は天のあり方を手本とし、天は道のあり方を手本とし、道は自ずから然るあり方を手本とする。



これを読んだ約2500年前の王、権力者はどんな風に思ったんだろう、、、


きっと現代の自分達と同じで難解すぎて敬遠されたのだろうか。

自分は最後の一文が好き。

道は自ずから然るあり方を手本とする。

それ自体がそのようである様。

在るという概念。

古事記の最初に造化三神が出てくる。
生まれては消える。


そこでは「天地」は最初から「在る」

理由だとか意味とか人間が頭で考えて作ったものより前に存在する世界がある。