孫子も水について書いていた!! | 神と仏と日本史

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歴史 神道 仏教 仕事への思いをひたすら書き綴ります。
歴史は日本史が特に好きで南北朝や室町・戦国時代が一番好きです。
ちなみに幕末は断然佐幕派です。

このブログでは時々私の趣味について記事にしています。

 

私は老荘が好きです。

 

簡単に言うと「多くを求めることなく、俺が俺がの精神も少なく、素直な気持ちでのびのびと生きよう」といった所でしょうか。

実際は、老子は時の権力者が如何に世の中を治めていけばよいのか?といった統治論が主ですが、荘子はあくまでも対象は個人。

 

「世の中の分別、好悪等を越え、絶対的自由の境地」を目指した人です。荘子の本は寓言(たとえ話)が多く、紀元前にこんなとんでもないことを書いた人がいると思うと荘子のすごさを感じます。(老荘は禅の源流です。)

 

秦の始皇帝が天下を統一するもっともっと前ですよ!!

ちなみに当時の日本は文字がありません。

 

はあ、、、自分はなんか小さくまとまってんなあ!!

 

 

 

最近、孫子の本も購入してみたのですが、なんとあの孫子も「水」について言及していることがわかったんですよ。

 

それは孫子の兵法 虚実編に確かに書いてあります。

 

「夫れ兵の形は水に象る。水の行くは、高きを避けて下に赴く。兵の形は、実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝ちを制す。故に兵に常勢無く、水に常形無し。能く敵に因りて変化して勝ちを取る者、之を噛みと呼ぶ」

「そもそも軍隊の形は水の姿を理想とする。水の流れというものは、高い所を避けて低い所へと向かっていく。軍隊も充実した陣を避け、手薄な陣を撃つべきである。水は地形に即して流れを決め、軍隊は敵の実情に応じて勝ちを制するのである。

だから軍隊には不動の形勢というものはなく、水にも常なる形はない。すべての敵は変化に自在に対応して勝利を収めるのである。こうした巧みな変化は、凡人の目には「神技」として映ることとなる。

 

この中の自在という言葉が好き。自由は自分で掴みに行くといった響きですが自在は「受け身」

 

相手がこう動いたから自分はこう動くみたいな感じ。

究極の受け身は最強。

 

老子です。

 

「上善は水の如し。水は能く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に近し」

「最上の善なる在り方は水のようなものだ。水は全てのモノに恵みを与え、しかも争うことはない。誰もが嫌がる低い所に落ち着く。だから「道」に近いのだ」

 

ちなみに「道」というのは老子の根源的な概念で「宇宙の法則」「エネルギー」といったモノ。

老子自身も「道」については「はっきり言えない」と言っていますから。

 

「何か」のことです。