神様は目の前 | 神と仏と日本史

神と仏と日本史

歴史 神道 仏教 仕事への思いをひたすら書き綴ります。
歴史は日本史が特に好きで南北朝や室町・戦国時代が一番好きです。
ちなみに幕末は断然佐幕派です。

神社に行くと日常とは全く違う空間に自分が足を踏み入れた感覚になります。

数年前に記事になっていましたが、神社の境内で危険な行為やマナーを守らない観光客に向けて神社の職員が立てた一枚の看板が印象的でした。


「神様は目の前におわします。お客様は神様の理屈は通用しません」




最近は外国人観光客も増え、神社仏閣に観光に来る人が増えています。

パワースポットとか私にはよくわからない力を感じるために女性も神社仏閣に訪れる人も増えているそうです。

それ自体は良いとは思いますが、果たして神社仏閣はそもそも何の為?に建立されているか?ということになります。
全てではないにしてもお寺と神社では全くと言っていいほど違いがあるんですよね。


まず「お寺」ですが、ご本尊が安置されている場所もあれば実際僧侶が寝泊まりする場所もあります。そこには「悟り」を開くために修行する人たちが「生活する場所」と一体になっていおります。

さらに仏教自体は「教義」「救い」「救済」といった現世を生きる私たちの悩みを解決してくれるありがたい言葉がたくさんあります。
宗派に限らず、仏教は「今を生きる私たちの為」



と言ってもいいくらいです。



要するに仏教は「人の為」にあるものです。



では神道はどうでしょうか?



神社は別に神職を志す人が修行をし寝泊まりしている場所ではありませんし、教義、救いといったものは元々はありませんでした。

かつては神社という建物も存在しておらず、大きな岩の上で神に祈っていたそうです。
神社は「生活」という概念はあまり感じられない空間です。



それはなぜか?






「神様の為」の空間だからです。




仏教は人の為




神道は神様の為に祭祀を行う

大きくわけるとそんな所でしょうか?




私としては神道も時代が進みにつれて古事記の研究や思想といった部分も発達していきました。
その為神道も人を救い、人生の悩みを解決できるものと思っております。

神道と仏教、そして老荘思想。


この3つを混ぜ合わせ、私自身の「思想」を完成させることが私の一つの夢であります。