朝木明代市議転落死事件(あさきあきよしぎてんらくしじけん)とは1995年(平成7年)9月1日22時頃、当時東村山市議会議員だった朝木明代市議が西武鉄道東村山駅の駅前のロックケープビル(以下、「本件ビル」という。)から転落死した事件。
警察(東村山署)は自殺と断定、事件性はないとされたが、朝木が創価学会の脱会者の救済活動をしていたこと、議会において創価学会・公明党を追及していたことから創価学会による関与を示唆する動きがあり、政界、宗教界、マスコミ、遺族等を巻き込んだ一大騒動に発展した。また、後にマスコミなどが「転落死事件の担当検事、その上司にあたる支部長検事が創価学会員だったことが判明した」と述べていた。
事件の経過
- 東京地裁判決(救急隊判決)(『創価新報』事件判決)
- 宇留嶋瑞郎『民主主義汚染-東村山市議転落と日本の暗黒』ユニコン企画、1998年。ISBN 978-4930695802。
- 乙骨正生『怪死-東村山女性市議転落死事件』教育史料出版会、1996年。ISBN 978-4876522927。
- 矢野穂積・朝木直子『東村山の闇』第三書館、2003年。ISBN 978-4807403332。
1995年9月1日
13時30分 矢野、支持者とともに、東京都議会事務局に向かい「宗教法人法及び関係税法の抜本改正を求める陳情」を提出
13時55分〜14時 矢野とともに知事室秘書事務担当課長と面談
15時 病院に入院していた担当弁護士と万引き事件の件で面会
17時過ぎ 病院を後にする
19時5分前 矢野、朝木、草の根事務所に到着
19時15分〜20分頃 支持者が自宅方面に歩いていた朝木を目撃
20時30分頃 薬局店主、「草の根」事務所に向かう朝木を目撃
21時過ぎ 矢野、草の根事務所に戻る
矢野が事務所に戻った時の事務所の状況
- 明かりがついている
- 鍵がかかっている
- エアコンがついている
- ワープロに電源が入っている
- 画面に「創価学会問題シンポジウム」のレジュメ
21時19分 朝木が自宅から草の根事務所へ電話。「気分が悪いので休んでいきます」と伝える。
22時前 朝木直子、草の根事務所に電話。矢野より「(明代は)家にいるんじゃないの」と伝える。直子は自宅に電話するが明代は不在
22時頃 ハンバーガー店の店員が本件ビルの裏のごみ置き場に行き、人が横たわっているのを見たが酔っ払いかと思い気にとめず店に戻る
22時30分頃 直子、自宅から草の根事務所に電話
同時刻 ハンバーガー店店長、朝木が倒れているのに気づく
22時33分頃 矢野、東村山署に電話[要出典][2]
22時42分 ハンバーガー店店長、東村山駅前交番に通報。巡査が現場に駆けつける
22時45分 巡査、救急車の出動を要請
22時52分 救急車、本件ビル南側路上に到着
23時10分頃 救急隊と巡査、朝木を救急車に収容
23時16分頃 救急車、現場を出発
23時25分 救急車、防衛医科大学校病院に到着
1995年9月2日
0時30分頃 矢野、東村山署に朝木が行方不明と通報。東村山署の刑事が現場に向かうが朝木とは入れ違い。
1時頃 朝木明代、死亡
東村山署の刑事が病院到着、副署長に一報を入れる。副署長は直ちに本件現場に赴き、以後の捜査指揮に当たる警察犬や現場鑑識を要請。
2時40分頃 矢野、東村山署に再度電話
2時50分頃 東村山署から矢野に電話「病院に運ばれた女性は明代の可能性が高い」と伝える
3時頃 朝木直子、矢野が東村山署に到着
4時頃 朝木明代の遺体が東村山署に運ばれ遺体の検案が行われる。
4時45分 朝木直子、矢野らの確認を得て、死亡者が朝木明代であることを確認
7時頃 東村山署副署長は検察官、検視に立ち会った医師、死体の状況、関係者の供述などを総合して検討した結果、事件性は薄いと判断
午前 東村山署ハンバーガー店長へ事情聴取
同 矢野、草の根事務所で記者会見を行い「自殺なんて絶対にするわけない。朝木は殺されたんです」と創価学会の関与を匂わせる
夕方 現場マンション敷地内で鍵を発見
司法解剖鑑定書
- 左上腕部後面、肘頭部の上左方4cmの部を中心に、2×2.5cmの紫青色皮膚変色部。左上腕部内側下1/3の部に、上下に7cm、幅3cmの淡赤紫色及び淡赤褐色皮膚変色部。加割すると皮下出血を認める。
- 左手背部、拇指側に小豆大から小指頭大の淡赤褐色皮膚変色部3個、小指側に2×1.5cmの淡赤褐色皮膚変色部を認める。
- 左第1指中央部手背側、1.5×1cmの淡赤褐色皮膚変色部。左第2指末節部手背側、1×0.5cmと0.7×1.2cmの淡赤褐色皮膚変色部夫々1個。左第2指中節関節部手背側、半米粒大淡赤褐色表皮剥脱。左第3指末節関節部手背側、0.7×0.5cmの淡赤褐色皮膚変色部。加割すると皮下出血を認める。
- 右上腕部内部、腋窩の高さの下方11cmの部を中心に、上下に5cm、幅9.5cmの皮膚変色部を認める。加割すると皮下出血を認める。
- 右前腕部内側、肘頭部の高さの下方9cmの部を中心に、上下に5.5cm、幅6.5cmの範囲に栗粒大以下の紫赤色皮膚変色部及び1×1.6cm以下の紫青色皮膚変色部多数を認める。加割すると皮下出血を認めるとある。
この事件では自殺とされる根拠や他殺とされる根拠が多数存在している。
自殺説
警視庁東村山署の発表
- 朝木の身長(160cm)なら自力で手すりを越えられたこと。
- 転落現場の手すりには外側からつかまったとみられる手の跡がついており、突き落とされた形跡はない。他人が突き落としたとすれば放物線を描いておちたはずで、ビルの真下に落ちることはないこと。
- 「大丈夫ですか」と聞かれて「大丈夫です」と答え、第1発見者に「救急車を呼びましょうか」と聞かれて「いいです」と、救急車の要請を断っている。また朝木の口から被害を訴える言葉もなかった。
- 衣服や身体に争った跡がない。ストッキングが破れていたのは、現場まで裸足で歩いて行ったものと考えられる。また、事件の現場で、事件の前後には不審な人物や車両の目撃証言がないこと。
東京地検の発表
- マンションの踊り場や着衣に争った形跡がない。
- 直後に発見した飲食店従業員に「大丈夫です」と答え、「救急車を呼びましょうか」との問いに「いいです」と断っており、危害を加えられたことをうかがわせる言動もなかった。
- 死亡する数時間前から一人で沈んだ様子で行ったり来たりする姿が目撃されている。
- しかし、ストッキングが破れていたことについては、裸足で外出した可能性が強いと発表した。
他殺説、創価学会による謀殺説
遺族関係者による主張
- 朝木明代は1992年から創価学会および公明党の批判を展開していた。また、矢野らによると、創価学会からの脱会者の救済もしていた。
- 9月3日には高知の創価学会関係のシンポジウムで講演する予定であった
- 矢野らによると、明代の性格として自殺はあり得ない
- 事務所・自宅(ともに、転落現場から徒歩数分以内にある)に遺書はなく、事務所は照明・エアコンがついたままで、やりかけの仕事が中断した状態だった。財布等の入ったバッグも置いたままだった。警察や第三者の調査が行われなかった(後述)ため、事件前後の事務所・自宅の状況は、矢野・朝木直子らの証言のみが根拠である(裏付けとなる写真等も公表されていない)。矢野は9時19分までに事務所に戻って朝木明代が自宅からかけた電話を受けた。明代は「ちょっと気分が悪いので休んで行きます」と伝え、矢野は「ハイハイ」と答えた。朝木直子は10時30分頃に自宅と事務所に戻って状況を見ており、事務所は無人だったという。
- 矢野らによると、事件の2年ほど前から朝木明代や周辺の人物に対する嫌がらせや脅迫(いたずら電話、放火、ポケベルに入った不吉なメッセージと読むことができる数字列、など)があり、一部については創価学会員によることが判明しているという(ただし、その多くは、矢野・朝木直子の証言以外に根拠がなく、これらの事実が争点の1つとなった『東村山市民新聞』名誉毀損訴訟の判決では「事実の存在自体が確定できないものが多い」「仮に事実だとしても、創価学会または創価学会員によると確定できないものが多い」と判断された。)
- 転落現場の手すりには明代のものと思われる指の跡がある(擦った跡であり、指紋は採取できなかった)。これは、落下に抵抗したことを示している。
- 謀殺である
- 創価学会が関与している
と主張した。
週刊誌・月刊誌などの主張
自民党・共産党などの主張
新進党に加わっていた旧公明党勢力と背後の創価学会に対し警戒と攻撃を強めていた自民党[8]や、かねてより公明党や創価学会と敵対関係にあった日本共産党も、この事件に着目した。そして、1995年11月の衆議院・参議院の「宗教法人に関する特別委員会」においては、穂積良行ら自民党所属の議員が、乙骨正生が『文藝春秋』(11月号)に執筆した「東村山市議怪死のミステリー」や初動捜査を行った東村山署が十分な捜査を行わず自殺の結論を出したことを主な根拠として、転落死事件の捜査手法に疑問を投げかける質問をした。質問は、- 朝木明代が創価学会をきびしく批判追及していて創価学会からの嫌がらせを受けていた
- 転落死を自殺とするには疑問な点がある
- 上記にもかかわらず東村山署は副署長を先頭に自殺と決めつけて捜査している
何らかの決着が必要
正直なところ、警察は既に、かなり信用を失っていますし、裁判所も時折おかしな判決や事実認定をして、これはおかしいだろうと突っ込まれる事が度々ですので、信用がかなりぐらついています。
だから、今更、の部分はあるのかも知れませんが、何らかの形できちんと決着をつけた方がいいと思います。
少なくとも、朝木市議の転落死事件は、誰がどう見ても他殺であって、自殺の可能性は考えられません。仮に他殺でないとしても、事故死だったという事になるだけです。最初から自殺と決めつけて捜査して、それで他殺の証拠が出なかったから自殺ですと言い張るのは、不誠実であり、そのような対応を取れば、司法と警察が信用を失うのは当然です。
事件から時間が経ち過ぎている為、今更再捜査をしたとしても、真相に辿り着く事も、犯人を捕まえる事も出来ないわけですが、国民がきちんと納得するような、何らかの行動を取り、決着をつける必要があると思います。
仮に朝木市議の万引き事件が、最初っから、朝木市議を自殺に見せかけて殺害する目的で、自殺の動機として用意した仕組まれたものであったとしたら、これほど悪質なものはありません。手口としては、世間を欺いているという事で、犯人は世間に対してガスライティングを働いたことになります。
また、そこまで計算して、吐き気を催すような強烈な悪意の下に、自殺に偽装して転落させ、殺害したのだとしたら、この転落死事件は、極めて高度に計算された計画殺人という事になりますから、犯人が現場に証拠を残していないのも当然だという事になります。