ミゆキサンにツイテ
ミユキ カアイソウ カアイソウ
おっカアモカアイソウ お父もカアイソウ
コンナコとヲシタノハ トミダノ股割レ
トオモイマス
股ワレハ 富田デ生レテ 学こうヲデテ
シュンガノオモテノハンタイノ、パーラボウ
ニツトめた
イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ
裏口ニ立ツヨウニナッタ
イまハーケータショーノチカクデ
四ツアシヲアヤツツテイル
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ツギニ
ス丶"カケのケヲ蹴落シテ、荷の向側のトコロ
アヤメ一ッパイノ部ヤデ コーヒーヲ飲ミナ
ガラ、ユキチヲニギラセタ、ニギッタノハ
アサヤントオもう。
ヒル間カラ テルホニハイッテ 股を大きく
ワッテ 家ノ裏口ヲ忘レテ シガミツイ
タ。 モウ股割レハ人ヲコえて 一匹のメス
にナッテイタ。
感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動い
タ。ソレガ大きな事件トハシラズニ、又カム
チャッカノハクセツノ冷タサモシラズニ、ケッカハ
ミユキヲハッカンジゴクニオトシタノデアル
モウ春、三回迎エタコトニナル
サカイノ クスリヤの居たトコロデハナイカ
トオモウ。
○ ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ
平和希求トハチガウ
ミユキノハ丶ガカ弱イハネヲ バタバタ
ヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、広い
ダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル
股割れは平気なそぶり
時ニハ 駅のカンバンニ眼ヲナガス
コトモアル。一片の良心ガアル、罪悪ヲ
カンズルニヂカイナイ
ソレヲ忘レタイタメニ股を割ってクレル
オスヲ探しツヅケルマイニチ
股ワレワ ダレカ、ソレハ富田で生レタ
コトハマチガイナイ
確証ヲ?ムマデ捜査機官に言フナ
キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト
事件ガ大キイノデ、決シテ
イソグテバナイトオモウ。
○ ヤツザキニモシテヤリタイ
股割レ。ダ。ミユキガカアイソウ
○ 我ガ股ヲ割ルトキハ命ガケ
コレガ人ダ コノトキガ女ノ一番
トホトイトキダ
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この怪文書について、
「キチガイが書いた支離滅裂な文章で、そもそも意味は無い」
「謎めいた言葉を並べて意味ありげに見せただけの、ただのいたずら」
という見方があり、それもありだとは思うのですが、私は、事件の真相がどうだったかは別として(この件については「事件の真相」と「怪文書の作者が意図したこと」が必ずしもイコールの関係ではないということは押さえておくべきかと)、怪文書の作者が意図したことは、
「加茂前ゆきちゃんは北朝鮮に拉致されたのだ」
ということだっただろうと思います。
根拠は思い込みになってしまうのですが、怪文書中の次の言葉、「サカイノ クスリヤの居たトコロデハナイカトオモウ。」
これがもう、「大阪府堺市のお薬屋さん(シャブ屋さん)の居たところではないかと思う」とかではなくて、
「小西行長の居たところではないかと思う」
という解釈で決まりだと思うからです。
それで、「小西行長が居たところ」をどう解するかですが、これも、「北朝鮮の平壌(ピョンヤン)」ということで決まりだと。(文禄・慶長の役)
怪文書(とくに後半)は、海の向こう(しかも寒く厳しい土地)を見据える作者の視線がありありですし、仮に作者が「サカイノクスリヤ」という言葉で「小西行長」を暗示したのであれば、
「サカイノクスリヤの居たトコロ」などという言葉をわざわざ持ち出して日本国内のどこかを指し示したとは私には思えず、やはりそれは、小西行長の名によって喚起される海の向こうの特別な地、すなわち「北朝鮮の平壌」を指し示したものとみるのが妥当ではないかと。
そう考えると、例えば、「カムチャッカノハクセツノ冷タサモシラズニ(カムチャッカの白雪の冷たさも知らずに)」の「カムチャッカ(半島)」は「半島」すなわち「朝鮮半島」の暗喩であり、
「ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ平和希求トハチガウ(韃靼海峡を蝶が超えた、こんな平和希求とは違う)」という安西冬衛の詩の一節は、事態が海の向こうとの問題、しかも平和などとは程遠い、闇深くきな臭い国際問題であることを暗示していると思われ、
「ソレガ大きな事件トハシラズニ(それが大きな事件とは知らずに)」
「事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ(事件が大きいので、決して急ぐ手はないと思う)」
として、怪文書中2度にわたって「事件が大きい」として、ゆきちゃんの事件がよくある刑事事件の一つではなく「国家による犯罪」「国際問題」であることを暗示し、
「ミユキノハ丶ガカ弱イハネヲ バタバタ ヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、広いダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル(みゆきの母がか弱い羽根をバタバタヒラヒラさせて、我が子を捜して、広い韃靼の海を渡っているのである)」
として、軍事独裁国家の国家犯罪という巨大な鉄の壁の前には、ゆきちゃんの母すなわち一個人の力は絶望的に無力であるということを暗示しているとみれば意味が通ってくると。
さらに言えば、怪文書の作者は、
「ケッカハミユキヲハッカンジゴクニオトシタノデアル モウ春、三回迎エタコトニナル(結果はみゆきを八寒地獄に落としたのである。もう春、三回迎えたことになる)」
として、ゆきちゃんについて「八寒地獄に落とされた状態で三回目の春を迎えてしまった」とは言いつつも、決して「すでに殺されている」とは言っておらず、むしろ逆に、
「キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト(気長に、遠回しに観察すること)」
「事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ(事件が大きいので、決して急ぐ手はないと思う)」
として、あたかもゆきちゃんが八寒地獄にも例えられる辛い状況の中でもどこかで暮らしていることを知っている(あるいは強く推察している)かのような書きぶりであり、こういったあたりにも、作者が「北朝鮮拉致(ゆきちゃんの生存)」を念頭に置いているらしいことが垣間見えるかと。
小泉首相の時に北朝鮮拉致が日本国民に明らかになって多くの国民が驚いたのが2002年(平成14年)、しかしこの怪文書の作者が、こうして加茂前ゆきちゃんについて北朝鮮拉致をうかがわせる(と解釈できる)文章を書いたのは、それより8年も早い1994年(平成6年)春のことでした。
拉致問題の存在自体はそれ(2002年)より以前から知られてはいましたが、少なくともこの怪文書の作者は---拉致する側かそれを捜査する側か単に政治や国際問題に関心のある一般市民その他かは不明ながら---この日本国内で行われてきた闇深い国家犯罪(北朝鮮拉致)について、ある程度以上に知っていた~あるいは関心を持って見ていた人物であると思われるのであり、
「ゆきちゃんは拉致され、北朝鮮の平壌に移送されたのだ」
ということをこの時点(1994年)でズバリ指摘している(と解釈できる)この怪文書が、ただのいたずらであるとか、幼女好きのロリコンによる愉快犯的な文書、あるいは統合失調症患者等による意味をなさない文書であるとは、自分には考えにくいと。
「ス丶"カケのケヲ蹴落シテ、荷の向側のトコロ」
などとして、「スズカケ」から「ケ」を蹴落として「スズカ」とし、「荷の向側」=「荷の向こう側」=「二の向こう側」=「三」=「算」として、「荷の向側のトコロ」=「算のトコロ」=「算所(さんじょ)」とし、もって「ス丶"カケのケヲ蹴落シテ、荷の向側のトコロ」を
「鈴鹿市算所(すずかしさんじょ)」と読ませてくるあたりなど、どう見ても精神異常者による支離滅裂な文章というよりは、脳が正常に機能している人物による、よく考えられた謎掛け文のように思われます。
いずれにせよこの怪文書は、ただのいたずらや意味をなさないものではなく、「北朝鮮による拉致」を示唆したものだったのではないかという気がします。ただそれが必ずしも加茂前ゆきちゃん失踪事件の真相とイコールの関係ではないとは思いますが。
(仮に怪文書の作者が事件や犯人とは無関係の人物であった場合、作者が「ゆきちゃん=北朝鮮拉致」だろうと推測してこの怪文書を書いたのだとしても、実際にはその推測は外れており、北朝鮮拉致ではなく、幼女狙いの性犯罪者による犯罪だった可能性もあるかと。)
そして仮にもしこの怪文書の作者が事件についてある程度知っている人物であったとすれば、作者が犯人と考える人物の名前などが、この怪文書の中にアナグラムなどの形で埋め込まれているとみるのが妥当ではないかとも思います。