香川県三豊郡詫間町女子高生殺人・死体遺棄事件⓶ | 全曜日の考察魔~引越し版

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「その1」からの続きで、

 

1997年3月16日(日)の朝5時過ぎに和加さんの母親が娘の帰宅していないことに気づいて以降の流れは以下のような感じ

3月16日(日)の朝8時過ぎ、家族が和加さんのバイト先のローソン詫間駅前店に問い合わせると、「前夜の10時に退店した」との返事。

16日の午前10時過ぎ、和加さんの中学時代の友人から電話が入った。

それによると、友人は和加さんと映画を見る約束で詫間駅で待ち合わせていたものの、約束の時間になっても和加さんが姿を現さなかったため、心配して自宅に電話をかけてきたという。

連絡もなしに友人との約束をすっぽかすという普段にはない事態に、家族は事の重大さに気づき、学校の友人やクラブの友人など、考えられる限りの家に連絡を取り問い合わせてみたが、誰一人として和加さんの行方を知る者はいなかった。

両親は和加さんのポケットベルにも何十回となくメッセージを送ろうとしたが、呼び出し音が続くだけだった。

和加さんの友人ら数人も彼女のポケットベルに連絡をとってくれたが、和加さんからの返事はなかった。

真鍋家では3月16日の朝早くから皆で手分けして和加さんの行方の捜索を始めた。

近くの山や川、池、沼、土手などはもちろん、瀬戸内に突き出た景勝地・荘内半島まで足をのばした。

(東西南北はご推察ください。画像向かって左側に荘内半島。右側の「靴発見現場」については後述。ちなみに「ローソン詫間駅前店前の和加さん最後の目撃地点」と「靴発見現場」との距離は、直線で約8kmといったところ)

 

事態は家族らが足をのばした荘内半島とは反対側の琴南町で進行していた。

3月16日(日)の夕方、香川県仲多度郡満濃町に住む農機具販売会社経営のAさん(当時63)が知人に頼まれて琴南町川東焼尾の自己所有山林に、神事に用いる榊(さかき)を取りに来ていた際、

同山林内にある廃道わきのフェンス(高さ約1.2m)の切れ目から雑木の生い茂る斜面下を覗き込んだところ、そこに「マネキン」が捨てられているのを発見した。

時刻が既に午後6時を過ぎていたこともあり(注:香川県3月中旬の日の入り時刻は18時10分ごろ)、Aさんはその日は「マネキン」を放置したまま帰宅した。

Aさんがその「マネキン」を見つけた場所は「サンライズヒルズカントリークラブ」というゴルフ場の東側山林内にある廃道のわきで、その廃道は、かつての町道(焼尾1号線)だったところだとのこと。

ゴミなどの不法投棄が多く、Aさんとしては普段から注意していた場所だった。

その時も知人から依頼された榊(さかき)を取るついでに、不法投棄の有無を確認しようと見て回っていたのだという。

 

3月17日(月)の午前9時20分、Aさんは、「自己所有の山林にマネキンのごみが捨てられている」という旨を、琴平署美合駐在所に通報した。

(2017年現在、美合駐在所は、事件当時よりも南に約2km下った位置に移転している)

 

(色が、青だの赤だのと統一感がなくてすみません。背景色に映える文字色をと思うのですが、同じ一つの画像の中でも部分部分によって青が映えたり赤白黒が映えたりということがあり、なかなか難しいです。遺体発見現場については「おおむねそのあたり」というくらいで把握していただければと。

ちなみに1枚目の画像、向かって左端の「靴発見現場」から右端の「遺体発見現場」までの距離は、直線で約18.2kmといったところ)

17日午前10時、美合駐在署員が、近所の主婦に案内を頼んで現場に到着。投棄されているのが「マネキン」ではなく、若い女性の遺体であることを発見した。

遺体は、廃道から約3m下がった斜面に、脇腹のあたりを雑木の幹にひっかけ、くの字になるような形で、仰向けに放置されていた。

遺体は半裸の状態で、上半身は長袖の白いTシャツ、下半身は白い靴下を片方だけ身に着けていた。

(和加さんの両親が香川医大で遺体と対面したとき、左足だけは損傷の激しさを理由に包帯でぐるぐる巻きにされていたとのこと。

 

また遺棄現場からは、先の長袖白Tシャツと片方の白靴下のほかは、和加さんが身に着けていたと思われる服や腕時計、ポケットベルなどの遺留品は発見されていない)

現場には争った形跡がみられなかったため、どこか別の場所で殺され、廃道のフェンス切れ目から斜面下に投げ落とされたものと推測された。

 

琴平署では殺人・死体遺棄事件と断定。同署に捜査本部を設置し、県警からの応援を得て捜査を開始した。

(琴平警察署にも香川女子高生殺人事件の情報提供を呼び掛ける立て看板が出ている)

 

17日夕方から香川医科大学で司法解剖がなされた。以下の事が分かっている。

(香川医科大学は1978年の開学、2003年に香川大学と統合して香川大学医学部となっている)

・死亡推定時刻は3月15日の深夜。(バイト最終日の深夜)

・死因は紐状のもので首を絞められたことによる窒息死。

 

和加さんの家族は、琴南町で遺体が発見された3月17日(月)も夜遅くまで捜索を継続していたが、行方はわからなかった。

3月18日、朝刊に琴南山中での死体遺棄の記事が掲載された。

記事を見た和加さんの両親は、その遺体が和加さんではないかと直感し、すぐに琴平署に出向いて、和加さんの失踪状況などを説明した。

和加さんの自室にあったCDから採取した指紋と遺体のそれを照合した結果、遺体が和加さんであることが裏付けられた。

(ネット上には「(琴南町山林内で発見された遺体は)警察へ出ていた届出から15日にバイト先から帰宅しなかった詫間町松崎在住の観音寺一高の真鍋和加さん(16)と判明した」との記述が散見される。この記述から推し量ると、両親が和加さんの行方不明を警察に届け出ていたのは遺体発見前ということになるかと思うが、当方が参照した未解決事件本---桐島卓氏によるレポートでおそらくこれがネットに散見される当該事件についてのほぼ全ての記述のネタ元だろうと勝手に思っているのですが---によると、両親は琴南町での遺体発見の記事を見た後でその遺体が和加さんではないかと直感し、警察に和加さんが行方不明であることの説明に出向いた、となっている。)

 

警察による捜査と判明した事実など

琴平署の捜査本部は、バイト同僚による目撃証言や、当夜は小雨が降っていたにもかかわらず和加さんが家に迎えの車を頼んでいない点を重視し、彼女がローソン前の交差点で誰かと待ち合わせをし、その人物の車に乗り込んで事件に巻き込まれた可能性が高いと判断。

和加さんの交友関係の洗い出しや、行方不明当日の午後10時前後の不審車両や目撃者の発見に全力を挙げるとともに、バイト先と死体遺棄現場とを結ぶ国道や県道での聞き込みや遺留品の発見につとめた。

 

その結果、3月21日になって、詫間町に近接した高瀬町の「朝日山森林公園」内の道路わき植え込みに女物の黒い靴(左片方のみ、サイズ24cm)が落ちているのを、現場を捜索していた捜査員が発見した。

和加さんが最後に目撃された地点(ローソン前)と、靴が発見された地点(朝日山森林公園内道路わき植え込み)は、直線距離にして約8km離れている。

車だと走行距離約12km、所要時間は20分前後。

(朝日山森林公園は、高瀬町の朝日山〈標高238m〉山頂一帯に広がる公園で、ソメイヨシノを中心にした桜の名所として有名なところ。展望台からの眺めも素晴らしく、晴れた日には遠く瀬戸大橋が一望できる。夜にはドライブを楽しむカップルや単車で乗り付ける若者も多いという。)

香川女子高生殺人事件

香川女子高生殺人事件

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(靴が発見された朝日山森林公園は標高238mの小高い山の頂上付近に位置している)

 

香川女子高生殺人事件

(桐島卓氏のレポートより、靴発見現場の写真。取材時はすでに伐採されていたものの、事件当時この道わきの部分は植え込みだったとのこと)

 

香川女子高生殺人事件

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(靴発見現場を2012年7月撮影のストリートビューより)

 

香川女子高生殺人事件

(朝日山森林公園は桜の名所とのことで、参考までに。水色の丸あたりが当時植え込みとなっており、そこから左片方の靴が発見された)

発見された靴は、遺族の確認と警察犬による匂い鑑定の結果、和加さんの靴であると判明した。

行方不明になった日(3月15日、バイト最終日)の勤務中に和加さんのポケットベルが数回鳴ったとの証言がある。

和加さんの遺留品としては、遺体発見時に身に着けていた上の長袖白Tシャツ、片方の足に履いていた白の靴下、朝日山森林公園で発見された黒の靴(左片方のみ)があるが、それ以外の衣服や靴、腕時計、ポケットベルなどは未発見のまま。

 

犯人のものとみられる指紋やDNA(体液~皮膚片)、足跡、タイヤ痕などが採取されたのかどうかについては、なんら情報は出ていない。

 

犯人が山林内にある廃道わきの遺棄現場までどうやって和加さん(身長不明、体重50kg弱)の遺体を運んだのか、

遺棄現場近くの山道に車を止め、そこから遺体を抱えるなり、何かに乗せる~ひきずるなどして廃道を歩き、遺棄現場までたどり着いたのか、

あるいは(非常に細く車で入るのは困難とされる)廃道内に車で乗り入れ遺棄現場の真横に車をつけたのか、そのあたりについての警察の見解は明らかにされていない。

 

和加さんにそれまで無断外泊などはなく、その日のバイト後に誰かと会う約束があるという話もしておらず、また小雨が降っていたにもかかわらず自宅に迎えの車を要請する電話もかけておらず、

「3月のまだ肌寒い時期に、和加は薄い綿シャツ(Tシャツ、長袖)1枚で(バイトに)出掛けています。トレーナーでもなく、コートも着ていません。それに電話代の小銭を除けば、財布も持ってはいません。そんな状態で、夜(バイト後に)どこかに出掛ける予定で行くわけは、まず無いと思うんです」。(再掲。和加さんがバイトに出かけた時の様子から推し量った、母親による見解)

 

「2箇所の現場を見る限り、この犯行はとてもよその土地の人間に実行できたとは思えません。とくに琴南町の焼尾のほうは、詫間の人間でも知っている人はほとんどいないような場所です。よほど地元・琴南町の地理に精通していないと、あんなところに死体を捨てようなどとは思いつかないでしょう」。(遺棄現場から推し量っての、父親の見解)

 

「事件直後は、やはり和加が可愛いものだから、花やジュースを持って、琴南の遺棄現場に何度も何度も足を運んだんです。いまでこそ山道も舗装されて道幅も広くなりましたが、当時は細いうえに未舗装でした。それと近辺に二つも三つもゴルフ場ができて、ネットを張るものだから、野犬がしめ出されて、遺棄現場のあたりに集まっていました。車を運転していると、何匹もの野犬がドーンとボンネットの上に飛びかかってくるんです。それはもう恐ろしくて、窓も開けられません。その時フッと思ったんです。犯人はもしかしたら完全犯罪を狙ったんじゃないかと。発見がもう2、3日遅かったら、娘の遺体は野犬に食い千切られて、跡形もなかったはずです」。(父親の見解)

 

「私には本当に朝日山森林公園が犯行現場だったかどうかも疑問なんです。
だっておかしいでしょう。片方の靴だけが発見されて、あとの遺留品は何も出てこないなんて。捜査を攪乱させるためにわざと(朝日山森林公園に靴を)置いたんじゃないかと、そう思えて仕方がないんです」。(父親の見解)

 

琴平署に設置された捜査本部はその後、社会的影響の大きい重大~凶悪事件などで設置される「特別捜査本部」に切り替えられ捜査が継続されるも、現在に至るまで事件は未解決のままである。