少しプチお久し振りに登場します、pi子です。


先週は、夫の父が危篤状態となり、7月29日に79歳の生涯を閉じた。


夫の父とは、そぉね・・もう19年のお付き合い。

早くに両親を亡くしたわたしの親代わりだった。


実家に顔出せば

「おぅ!来たか!」とうれしそうな顔をしてほほえみ、何かしら、おもてそうとしてくれるのだ。

父が作ってくれた、手作りソーメンのつゆは美味しかったし、小倉の市場に行って買ってきてくれた、ぶりのさしみの厚さで切ってくれて、食べ応えがあった。

何かと台所に立って、いろいろと家族に美味しい食事をふるまっていてくれた。

ぬか漬けも、毎日、父がかきまぜ作っていた。

料理好きで、人が喜ぶ事が生き甲斐のようなところがあったように思う。



自宅で酸素を吸入していたので、日に日に体が弱っていっても、


「おぅ!来たか!」

「そこにあるバナナ、食べんか?」

「ピーナッツはいらんか?」


とやっぱりもてなしてくれていた。

今、思えば、そんな風に声かけてくれることは、ないのだ。

ひどくさみしい・・。


だけども、ここ最近では子供たちも大きくなり、実家に顔出すのは、遠方に住んでいるかのように、遠のいていた。


なので、今回危篤状態が4日間続いたとき、


後悔を残したくなかったので、4日間、出来るだけ病院に付き添った。

長女も長男も、ななこも、深夜以外はずっとみんなで付き添った。


苦しんでいる、じーちゃん。当然何もできないわたし。


そんな自分でも何か出来る事はないかと考えた。


わたしは、何の為に整骨院で勤務しているのか。


施術者じゃないから、リフレとかはできないけど、いつも患者様に申し上げている事があったではないか。


それは、


「ふくらはぎは、第2の心臓です。こちらを伸ばしてあげると心臓と同じ血液を全身に送り出すポンプの作用が働き、下半身の血液の流れをよくしていきます。その事により、免疫力があがり、基礎代謝も上がっていくのです。血液の流れがよくなる事で、むくみを防止してリンパの流れもよくしていきます。」


この年寄り、最近は物忘れが激しいのに、暗記する程、語っていたではないか。


ふくらはぎのマッサージをしよう!!


そう思いついてからは、手がしびれる程、マッサージを毎日続けた。


そのせいかどうかは、わからんし、自己満足の世界なのかもしれないが、


じーちゃんは、足のむくみもなく、顔のむくみも取れていた。


自分が出来ないときには、子供たちに託して、出来る限りふくらはぎをマッサージしていた。

だから、父が、亡くなり棺の中に収まる時に、ふくらはぎを偶然?必然?持つ事になった時には、嬉しかったし・・

「入院しているときには、この痩せこけたふくらはぎをずっとマッサージしたね・・」と寂しくなって涙が出た。



体力のない父が、モルヒネ投与で(ガンではない)4日間も、生き抜いたのだ。

それは、大家族故(妻1人、子供6人、嫁や婿、5人、孫11人、ひ孫2人)みんなが揃うのを静かに待っていたかのように思う。


前頭でも述べたように、わたしは最近全く実家に顔を出していなかった。


行って、正月、父の日、何か用事がある時のみ。

そんなわたしだったから、他の兄弟やわたしにとっての甥っこ達と、じっくり話もしていなかったのだが、

危篤状態の見守りの間、よく語り、よくしゃべった。

その時間は、とても有益な時間だった。


そして、うちの子供達も、思春期になってからというもの、長女と長男は仲が悪いワケではなかったが、話をしないようになっていたのに、その時間は、よく会話をしていたし、わたしにも長男は色々と話かけてきていた。


夫とも、、、最近はわたしの帰りが遅すぎる為、険悪な状態になっていたのに、

ずっと付き添いしたのが、かなり嬉しかったらしく、
何度も「ありがとう」と感謝していてくれていた。



わたしにとっては、義父。血の繋がりはない。

しかし、あえて、このブログでは、父と言いたい。



父は、家族って何なのかを、自分の生き様を持って教えてくれたような気がしてならない。


立派な最期だった。父の最期を看取る事が出来た上に、通夜、葬式としっかりお別れを告げる事ができた。


父が遺してくれたのは、


「家族の絆」だった。


わかっているようでわかっていなかった。


家族が支え合うのって大事な大事なことなんだ。


それは、ほぼ初めて、「人の死」に立ち会った子供たちも同じような事が思えたようだった。


本当は、このブログ書くの、辛かったけど、日々の生活に忙殺されてゆくと、この気持ちが薄くなっていくかもしれない・・と思って、あえて書くことに決めたのだ。


何か、すんごく重たいブログになってしまって申し訳ないのですが、


「命」ってすごい。自分が死んでも、「想い」はなくならない。遺伝子が引き継ぐし、想いは、血の繋がりのないわたしでも、引き継ぐ事が出来る事を、伝えたかったのだ。この殺伐としている現在だからこそ。


お坊さんが言っていた。


「これから、49日、1周忌、3周忌、と色んな供養する場があり、みなさんは、滞りなく供養されて行かれるでしょう。それも大事な事ですが、故人が生きていた証をどうか忘れないでいて下さい。思い出してあげて下さい。それが一番の供養になります。」と言っていた。


このお坊さん、話は短いのに、話の内容は濃く、思わず引きこまれるおお坊さんだった。


死後の世界とか今までは怖くて、知ろうともしていなかったが、

これから49日までの間、7日間刻みで、裁判されるのだという。

だから、7日間毎に、佐賀では「おちゃこ」とか言っていたが、遺された家族が供養をする事で、生前の罪を軽くする事が出来るという事を知った。おちゃこにそんな意味が・・。


そんな裁判をした結果が49日に決まり、次に輪廻転生する6つの世界が選ばれるという事であった。

実に興味深いお話であった。


だから、生きている間って苦しい事の方が多いんだ。

苦しみからいかに、感謝して生きてゆく術を学ぶのかが、この世での試練なのだろう。


そう思うと、わたしって全く人間出来ていない。


腹が立ったら、ストレートに顔には出すし、ワリワリ怒るし。

まだまだ後半戦の人生を、いつ死んでも悔いが残らぬように一生懸命生きて、学ばなければならない。人間死ぬまで勉強だ!



父の死からも沢山学ぶ事が出来た。


そして、家族の絆。


わたしにとって、第2の家族である、職場のみんなとの絆。


父のお通夜に、主要スタッフが全員集まってくれたのだ。


喪主でもないし、長男の嫁の立場だというのに、祭壇の横には、立派すぎる生花のスタンド。弔電。

忙しい最中、社長を筆頭に3部門の主要スタッフが全員参列してくれたのだ。


そんなに集まるとは思わなかっただけに、通夜の間は父の事を思い出しながら、職場の皆の心の温かみに触れながらずっと泣きっぱなしだった。

有限会社ライフプロジェクトで、仕事する事が出来て、わたしはとても幸せだ。

願わくは、わたししが死んだら、有限会社ライフプロジェクトから社葬をして貰いたいと思っている。


社長と、年が゜2つしか離れていないから、「自分達が死んだら・・」の話を何度となくしてきたが、

お互い、どちらが先に召されたとしても、どちらかが、2人で歩んできた、ライフブロジェクトの思い出話をしましょうね。



全力のみんなにもかなり負担をかけて迷惑をかけました。

それなのに、さっき、全力のみんなは、わたしの誕生日を、祝ってくれました・・・。

弱っている心に、人の温かさが沁み渡り号泣。

最近、泣いてばっか(汗)


・・・今できる事。


しっかり向き合ってやってゆこう。

モチロン、心も体もきつい時がある。そんなトキには、休憩するのが一番。

もしかしたら、サマーバケーションのように長い休みになるやもしれないし、もっともっと長い間休憩する時間を取るトキもあるかもしれない。

でも、休憩する事が悪い事とは思わない。長い人生、休む事も大切だ。


そして、わたしの中で変った事。


「人様に迷惑をかけない。」→「かける時にはかけて、お世話になり、回復したらその後恩返ししようよ。」に変わったのだ。


わたしの大事な家族、そして大事な仕事仲間。

わたしは、これからあなた達を頼りにして、天命を全うするまで一生懸命生きていきます。

どうか、わたしを手助けして下さいね。


わたしの、愛する大事な家族と、大好きな職場のみんなに感謝をこめて・・


pi子