こうした中、国や自治体よりこれからの復興に向けた計画が少しずつ提案されている。
町を巡って感じることは、被災された方々も日々を重ねながら、今日という日を過ごすことで精いっぱいという思いから、もう少し先を考えるようになられたのでは、と思う。
それは、實吉さんのつぎの言葉からも感じ取れた。「私達のコミュニティは無くなってしまったが、日本全国各地の方からはもとより、世界の国々の方が私達に肩を貸していただき、寄り添っていただくという「絆」を貰いました。
将来、この「絆」を返さなければいけない。一歩、一歩、歩み出して行きます。」
そして、今の問題点とこれからの取り組みについても話されました。
「震災から一年が過ぎた現在でも、公用地である学校の校庭に仮設住宅が建っています。一見、良さそうに見えますが弊害もあります。
まず、同じ町内の方を一団に集めていないので、コミュニケーションが取れていないことが問題となっています。
そのため年寄りの方は引き籠りになり孤独死するという問題がおきました。
このようなことを繰り返さない様に家にいる時は玄関に黄色い旗を立てるようにし、旗が立ってないときは班長が見回りをするなど対策をしています。
また、5千人近くが仮設住宅に住んでおり、そこには仮設のコンビニ・飲食店・ドラッグストアなどもあります。
無理からぬことですが校庭は以前のようには使えません。
子供たちが、少しばかりの空きスペースでブラブラしています。
体育も部活もできないという状況なので、早く校庭を仮設住宅の敷地から解放して本来の活用に戻せると良いと思う。
もう一つ、今回の災害の教訓として「災害時は、みんな、夫々が避難する。」ということです。
子供を迎えに行き命を落としたケースも多々あり、このような2次災害や3次災害を防ぐため一刻も早く避難することが必要だからです。
また、社会的に大きな問題としては、「がれき」の処理です。
震災前は、岩手県では年間500万トンのゴミを処理してきました。
今回の震災でその15年分ものゴミが出てしまい、これが片付かないと「1丁目1番地」が始まらないので何とかしなければならない、という話がでました。
こうしてほしいという話は無かったけど、この被災地の現状を見ると放射能汚染の心配がないのなら全国で協力できればという思いになった。
まさに、今現在、待ったなしで生活されている方がたくさんみえる。
先の太平洋戦争以来の国家の一大事なので、「地方のこと」では済まされない。
諸先生方!与党だ!野党だ!と対立せず、そこはノーサイドで一致団結して政策実行には頑張ってもらいたい。
今年に入ってから陸前高田市の市民病院も仮設で再開した。
また、三陸地方の観光や各種ツアーも増えてきたそうです。
今回、陸前高田市の状況をみて思いましたが、公の団体等に対して寄附するのも大切だけど、それよりも東北地方を一人でも多くの人が観光に訪れ、地元で買い物しお金を使うなど直接支援も必要なことだと実感しました。
是非、皆さんも東北地方に出向いてほしいと思います。