
乗り過ごした事はたくさんあるけど、やっぱりこれが一番の思い出です。
その日は、先輩と難波の場外馬券売場で競馬を楽しんでました。結果は先輩も僕もプラス収支! さあ飲みに行こうということになりました。
難波で軽く飲んだ後、南海電車で堺駅へ。駅の高架下にある行きつけの居酒屋で活ヒラメを潰してハチャメチャに。凄く飲んだ記憶があります。
そろそろ帰ろかということで、再び南海電車へ。先輩は途中の羽衣まで。僕は岸和田の隣の蛸地蔵。鈍行で帰る事にしました。
先輩が羽衣で下車すると、酔いも手伝ってか凄い睡魔が… 途中の忠岡までは覚えてるんですが、パッと目覚めると駅名看板にひらがなの”た”の字が。でも、何かがおかしい! よくみると”たんのわ”の文字が…
そうです。やく40分も電車で寝てしまった僕は大阪の最南端、岬町の淡輪まで来てたのでした。仕方がないので次のみさき公園で乗り換えて岸和田まで。
家についたのは、もう12時をまわっていました。
約20年前の話しですが、今でもよく覚えています。
あつし