学校の在り方~いじめ問題についての一考察
また最近、学校でのいじめ(による自殺)問題が取り沙汰されている。うちの長男も来春から小学生になるのでとても他人事とは思えない。先日のテレビニュースの中で気になる点が二つあった。一つは文部科学省のレポートで、“いじめによる自殺は過去十年起きていない”という報告だ。二つ目は匿名現役教師の独白で「いじめは必ずあるもの」「だがそれを認めると失格の烙印を捺されてしまう」「だから教師は上司に報告しない」というものだった。おそらく大半の人は一つ目の文部科学省の報告に「目ぼけたことぬかしてじゃねえ」と思い、匿名現役教師の独白に「いじめがあることなんか当たり前じゃん」と思うだろう。
一般企業ならこの二つの点からして原因(の一部)は明らかであるとし、対策を講じることだろう。すなわち“いじめ”が存在することを認め、その問題をどのように解決するか?ということである。太古の昔から現在に至るまで、いじめ(暴力、からかい、仲間ハズレやそれに類するもの)がなかったことなどないことは大人なら誰でもわかっている。小学校入学から高校卒業までの十二年間に一度も身近でいじめ(暴力、からかい、仲間ハズレやそれに類するもの)を見聞きもしたことがない人はいないだろう。匿名現役教師の言うようにいじめは必ずあるのである。まずそのことを認めなければならない。いじめが存在することを認め、その問題をみんなで解決しましょう?という流れにならなければおかしい。
であるから、教師を評価するに際しても、その基準が“担当クラスにいじめがあるかどうか?”を問題にするのではなく、“いじめを解決できるかどうか”に移行しなければならない。教師育成に際して、“いかにクラスの現状を把握し、いじめ等の問題を解決するのか”というプログラムを重要項目として組み込むべきだろう。知識や受験テクニックを伝えることよりも、人間関係を構築させることが教育のポイントであるべきだ。学校内で生徒間の競争はあって然るべきだが、弱者をつくることになってはならない。もし弱者がいれば、クラスで協力してフォローするような教育現場でなければならないのだ。教師が率先していじめを行なっているようでは話にならない。
一番の解決策は学校を開かれた場所にし、密室教育を改めることだろう。毎日・全授業を父母参観日にすることで、教師の暴言や手抜き授業の監視になるし、一般社会では通用しない学校内でのおかしなルールとかも改善されるだろう。また父母の目が光っているところで堂々といじめもできまい。問題はセキュリティだが、これだって父母がつねに数人いれば今より安全なんじゃないか?宅間だって各クラスの廊下に2~3人の父母がいればそう簡単には凶行に及べなかったはずだ。
いじめは未来永劫なくならない。が、いじめをひとつひとつ解決することは出来る。難しく考えることはない。それはほんのちょっとしたアイデアと教師の意欲で改善されるものなのだ。