好き

 

頭でも狂ったかと思った皆さん、元からまともではないです。(偏差ではないです)

花びらも一枚一枚 好き 嫌い 好き・・・なんてやってません。

むしっているのは犬の抜け毛ぐらいなので、安心してください。

 

好き、とても大切な要素だと思います。

 

まがりなりにも、仏教系の瞑想を嗜んでいて、こんな煩悩臭い事言っていて良いのかお叱りを行けそうですが・・・

 

好きとか、嫌いとか、拘りを生むような心の状態は、良いとは言えないのではないのか?

個人的には、いいんじゃないかと思っています。

 

好きは、確かに拘りだと思います。

拘りと言えば、あまり良くないように感じるかもしれませんが、拘り=エネルギー=気 と考えてはいかがでしょうか?

人は何かを行うとき、絶対的にエネルギーが必要です。

 

そのエネルギーも一過性の物なのか、継続してエネルギーを発揮できるのかで、その後の物事の結果は違ってきます。

 

確かにどこかのタイミングで、瞬発的なエネルギーが必要な事もあります。

この瞬間的に大きなエネルギーを出すのは比較的簡単かと思います。

この、瞬間的にエネルギーを発揮するのは誰にも経験があるのではないでしょうか。

 

3日坊主なんかは、この瞬発的エネルギーの部類かなとおもいます。

これは誰もが、身につまされる現象だと思います。

 

個人的にはこの 好き に関しても 浅い好き 深い好き があると思っています。

 

アイドルが好き、などは浅い好きだと思います(例外はありますが)

 

男性が女性を好きであるように、女性が男性が好きであるように、これは個人的には深い好きです。

 

この違いは頭で考えた好き=浅い、頭で考えない好き=深いだと個人的に思っています。

 

難しいのは継続的に、同じように、エネルギー出力する事です。

 

コツコツとか、地味とか、しつこいと言われるのは、この部類のエネルギーです。

物事を成しえるには、この地味なコツコツエネルギーがどうしても必要です。

 

しかし、このコツコツエネルギーは本当に難しい。

 

ずーっと好きでいられれば、好きの対象に継続的にエネルギーを届ける事が出来ます。

 

しかし、人はこの好きと言った感情も、ずーっと継続する事はほぼできません。

 

あきるからです。

 

この深い好きの状態に持ってこられれば、継続的なエネルギーを確保する事ができると思います。

 

自分事ですが、過去に好きである理由がハッキリしていて、人に対して魅力を言葉で語れるような好きは、今は好きではありません。

しかし、人に聞かれて何で好きかも、分からない好きな物については、飽きもせず未だに好きで、ずーっと取り組んでいます。

 

この深い好きは、いかに心の深い部分で、判断させることができるかが、ミソだと思います。

ある意味、自分の意志で決定しているのではないので、種火のように、ジワジワ燃える感覚を、深い意識に届ける事が出来れば、ほぼ完成だと思います。

 

そういった意味では、考えて判断するのではなく、なんだかいいなーと思う物は、大切にした方が良いと思います。

理由は分からないが、なんだか良いなーと思うようなものは、心の奥に響いているのだと思います。

素直で正直な自分を、否定しないほうが良いと思います。

 

禅密気功の瞑想文化は、深い部分の心を揺り動かすだけの十分な魅力があると思います。