R6.12.8 、陰陽合気(人部)
仕事の関係で、1日しか参加できないが、陰陽合気(人部)に参加。
禅密気功には、いろんな功法があるが、個人的に陰陽合気のシリーズは、かなり気に入っていて、分かりやすくて、オススメの功法だ。
昔は功法ごとの違いが、正直あまり良くわかっていなかったが、最近はさすがに、各功法の違いが、分かるようになってきており、禅密気功の体系が、抑えるべき事を、キッチリ抑え、なおかつ、事細やかと言う事実に気づき関心している。
歴史は古いが、構成が合理的で驚かされる。
そして、各々の功方は最終的に、瞑想へと繋がっていく。
そうなのです、禅密気功の真髄は、瞑想なのです。
今回の陰陽合気(人部)は、上級の功法ですが、初級とか、上級には、あまり拘らずとも、効果が体感出来る功法です。
何より、練習するといった行為が、最も大切です。
しかし、初級功法の陰陽合気(天地部)とは大変関係性があります。
陰陽合気(天地部)の動功部分で築き上げた気感を、意念を使い再構築し瞑想へと繋げていきます。
陰陽合気(人部)には動功らしい動作は、有りません。
動かず意念だけを使い、気感を変容させ、凝縮し、放出します。
そのための前段階として、音を使います。
音は、意識をかける部位により違います。
大雑把に自分が感じたのは、母音により対応する部位が違うなと感じました。
音により、対応する部位に、振動を送ります。
中でも最も大切な部位は 慧中 です。
音により 慧中 を活性化させ、意念により、気を放出し、また、体外の気を集め凝縮します。
そこには、呼吸も絡んできます。
こういった気の通り道などは、陰陽合気(天地部)にて構築されていますし、気の放出、気を取り込む方法等は、吐納法にて培われています。
そういった意味で、陰陽合気(人部)は上級功法であると言えます。
ただ単に静かに座れ、と言った無責任な投げっぱなしの体系ではなく、静かに座るためには、どの様に練習するべきなのかが、非常に親切に構成されています。
このあたりは、経験的にかじった、日本の禅に比べ、非常に優れているのではないかと思います。
今回、参加した、陰陽合気(人部)は朱剛先生が言われる、気の瞑想から、光の瞑想への橋渡しになる部分を含んでいます。
両瞑想とも、目を瞑った瞑想ですので禅(心の瞑想)とは趣は大きく違いますが、光の瞑想が、しっかり構築されることで、禅(心の瞑想)へと繋がっていきます。
禅密気功が良いとか、禅や道教、ヨガ系の瞑想が良い、とかは関係ありません。
人間である以上、多少の違いはあれ、基本的な構造は誰もが同じです。
よって、たどる道筋、方法、得るタイミング、捨てるタイミングは、ほぼ同じではないでしょうか?
そういった、瞑想文化が、禅密気功には色濃く残っていると思います。
シンプルかつ合理的、色々な物と融合し、取捨選択した、禅密気功。
禅密気功は、あまり有名ではないかもしれません。
しかし、人間の進化以上に、物事の変化するスピードが、早くなって、ストレスまみれの世の中になってしまった現在、そういった問題に、対応できるだけの叡智を、禅密気功は持ち合わせていると思います。
便利である事と、豊かである事は、違うと、私は思っています。
以上