R6.2.24 気の瞑想
朝起きて 座樁 をする 座樁 は武術の練習だが、座って行う瞑想と、大変相性が良い。
身体の要求は武術の要求だが、心の部分は禅密気功の瞑想の要求で座る。
良い一日の始まりだ。
二日目の始まりも 蠕動 から始まる、自分なりの 蠕動 を行い、身体を調整する。
その後は即、気の瞑想に入る。
呼吸に合わせ、丹田に気感を下ろす。
正直、自分は 蠕動 の時点で気感が発生してしまっていたので、気感を呼吸に合わせる事無く、すでに有る気感に意識を合わせる。
指先はチリチリしている。
雪の中に手を突っ込んだ後、ストーブで手を炙った時のようにチリチリしている。
身体は鉛のダウンジャケットを、着込んだ様な重みがある。
ずっしりとした安定感が有り、良い感じだ。
その後は、徐々に五感が消えていく。
そして身体の感覚が消える。
身体の感覚が消えると、意識だけの状態になる。
五感も消えてしまっているので、とても穏やかで、静な時間が訪れる。
地下20階の地下室に籠もったら、きっとこれぐらい静ではないかと思う。
本日は全く雑念が湧くことも無く、ただただ、静で穏やかな時間を楽しむ。
お金では買えない、とても贅沢な時間。
練習することにより得られる、至福の時間。
昨日の瞑想は、五感と身体感覚が消えた後、雑念が多く湧いた。
そうなると、思うことが画像となり瞼の裏に象を結ぶ。
表立った雑念が消えても、画像が次から次へと湧いてくる。
深い心の部分の思いが映像となる、人、景色が次々に現れた。
あー人間って、こうやって夢を見るんだなと、妙に納得してしまう。
人間には潜在意識があるらしい、理屈では分かっていても、普段の生活で潜在意識を感じることは皆無。
自分の顕在意識が消えた時、潜在意識からの情報が次々とやってくる事により、始めて潜在意識の存在に気づく。
あー人間にはやはり、潜在意識という物が、本当に有るんだなと実感する。
今日の午前中の瞑想は、潜在意識から雑念が湧き上がること無く、本当に良い時間が持てた。
瞑想会に参加すると分かるが、瞑想の質は日を追うごとに、良くなっていく傾向が有る。
昼食時は、中国気功事情を先生から伺った。
日本もそうだが、伝統的で良いものが失われていくと節に感じる。
伝統的な物は、直接生活やお金に絡んでくることが無く、経済に重点が置かれると、どんどん消える運命にある。
直接お金にならなくても、全体的な視点で見ると大変有用な物が多い、大切にしなければと思う。
午前中の瞑想が中々良かった事もあり、午後一の昼寝の時間は、全く眠くならなかった。
実は私は布団が変わると、あまり寝られない。
ホテルの布団は、高級な羽毛布団であることが多く、あまりにも軽すぎて寝られない。
我が家の布団は、質感的には80歳のバーサンが、覆いかぶさっているぐらいの重量感があるので、ある程度の重量感がないと、不安で寝られない。
よって、昨日も、普段の様な睡眠は確保出来ておらず、午前中は寝不足で瞑想に入ったが、良い瞑想だったので、睡眠不足が吹っ飛んだ。
午後一の瞑想は、ただ単に静な状態の瞑想であった。
何だか、納得がいかないが、こういった、ただ単に静な瞑想というのも、よくある現象だ。
以外に穏やかなので、ホッとした時間はあるが、何だか納得いかない。
瞑想に関しては結構、厳し目の評価をするようになってしまった。
午後二の瞑想は、特徴的であった。
目を瞑ると背骨の芯、前頭葉あたりに、相当に強い心地よさが発生する。
音も聞こえているし、意識もハッキリしている、時々、多少動いても、心地良い感覚は全く無くならない。
この状態になると、チョットやそっとではこの感覚は無くならない。
気持ち良いと言うより、快楽に近い感覚である。
こんな時は、薄っすら微笑んでいるのが自分で分かる。
仏像などが、うっすら微笑みを浮かべている気持ちが、分かるようになった。
ただ、こんな瞑想を小学校のや、女子校の校門の前でやってしまうと、100%警察のご厄介になる。
多分、校長先生から
歳の頃なら◯◯歳、校門から構内を眺めて、薄ら笑いを浮かべてています。
低学年の子供達は、怖い怖いと泣いていて、家に帰れないと言っています。
事件になる前に、大至急、あの薄ら笑いのオッサンを何とかして下さい。
きっとこんな具合になると思います。
女子高生からは
なんかー、チョー変な、オッサンが校門にいるんですけど。
マジ、キモイんですけど。
となり、こちらも警察のご厄介になるのは間違いない。
署まで、ご同行いただきたいとなり、取り調べ室で瞑想をすることになります。
こんな瞑想は嫌です。
瞑想も、時と場所を選びましょう。
場所さえ誤らなければ、瞑想は本当に皆さんに益がありますよ!
逮捕されていなければ、明日は3日目です。
乞うご期待。
続く