小学生低学年の頃、親に買って貰った人形付きのオルゴールが、枕元に置いてあった。

 

確か 森の木陰でドンジャラホイ のメロディーで、小人人形が何体か付いていた。

 

メロディーに大して興味はなかったが、オルゴールの音色には、心惹かれた。

 

それから、機会があると土産屋などで、安物のオルゴールを゙買って、ゼンマイを゙カリカリ巻いて聞いていた。

 

オッサンになり、何処で聴いたかは忘れてしまったが、大型のディスクオルゴールの演奏を聴き感動した事を覚えている。

 

そんな記憶がうっすらある中、オルゴール展に行ってきた。

 

 

 

オルゴールの歴史はこのカリヨンから始まった。

1300年代の頃である。

鐘に対して原始的な打突機で、自動で鐘を鳴らすシステムである。

 

そして、そこで培われた機械技術はシンキングバードの様なオートマタ(自動人形)に流用されていく。

日本で言うとカラクリだが、洋の東西を問わず、職人の技術は本当に凄い。

言葉以外の感覚の世界である。

恐れ入る。

オートマタと言う言葉は、聞いたことがある。

いい年して からくりサーカス と言う漫画に没頭して読みふけった事がある。

 

その漫画に、オートマタと言う悪者の自動人形がいっぱい出ていた。

オートマタと言う単語は、漫画の造語だと思っていたので、ちゃんと単語として存在するので驚いた。

 

そしてそれらの数々の技術は、ほんの小さな 印章 の中にオルゴールとして内包される。

機械技術と音楽が融合した。

 

機械技術が音楽となり、その音は人々を魅了する。

そして、懐中時計のような物にも、この技術が応用される。

見れば感じるが、無機質な歯車が生き物のように感じる。

芸術の域に達していると思う。

音楽と共に生活したい!

そんな欲望が結実した。

 

そして、本格的なオルゴールが現れる。

シリンダー式のオルゴール。

機械技術、音楽、工藝が融合する。

 

その音色は本当に優しく優美だ。

思わずウットリとしてしまう。

 

隣の御婦人を、変な目付きで見てしまいそうになる。

間違いが起こるなら、この瞬間だと思う。

隣の御婦人もウットリしてたら、相思相愛になる事間違いなし?

 

 

しかし、この頃のオルゴールは金持ちだけのものだった。

下のような金持ちの部屋に置かれるような、高級なものだった。

デビ婦人の家のようだ。

要はこの頃のオルゴールの音楽は民衆の物ではなかった。

 

下のオートマタは本当に味わいがある。

ランプに火を灯すとオジサンが書物をする。

しばらく書物をすると、オジサンは眠くなり、ウッツラ、ウッツラと船をこぎ出す。

オジサンは自分がコックリ、コックリしていたことに気付き、ランプの火加減を調整する。

一連の動きが実際に見れる。

見ていて飽きないです、本当に微笑ましい。

 

このオルゴールは横2m程ある大型の物で、演奏が始まると明かりが灯り、人形達が踊りだす。

見ていて楽しい、いい歳してワクワクして小躍りしそうになる。

 

ディスクオルゴール。

どうしても、もう一度聞きたかったディスクオルゴール、感無量である。

古いものとは思えない音質を維持している。

いつまでも聞いていたい。

人間の音に対する欲望、情熱を感じる。

 

そして、音楽は徐々に大衆の物になっていく。

酒場などで、コインを投入すると、演奏が始まるタイプのオルゴールが出現する。

 

聞きたい曲があると、対象のディスクが選ばれ装填される。

人間の欲が技術を促し、より豊かな物を生み出した。

欲は使い方を誤らなければ本当に 豊かさ を生み出す。

現代はどうなんだろう?

 

自動演奏は、オルゴールの時代を経て、蓄音機の時代になる。

今の音楽の様にクリアな音では無いが、雑音自体も良いアクセントになっていて、味わい抜群である。

こういった、アナログチックな音感の魅力に、最近の若者が気づき出したらしく、レコードの売上が伸びているらしい。

 

自動演奏のパイプピアノ。

ムーミンの おしゃまさん が弾いていたオルガンである。

自分の目で直接見れるとは思わなかった。

 

大型の自動演奏器、催し物などで使われていたらしい。

催し物仕様なので、驚く程、音量がデカイ。

いろんな楽器が自動でドンチャンと演奏する。

こんな演奏を聞いたら、子供でなくとも楽しくなってしまう。

そりゃー、財布の紐も緩むでしょう。

 

スタンウェイのピアノ、名前ぐらいは知っている、さぞかし お高い のであろう。

 

最後に解説員の人が、一曲ぐらい弾いてくれるのか、はたまた、ただの飾りか?

 

実はこのピアノは、自動演奏ピアノであった。

 

古い時代の物で、今までは壊れていたらしいが、クラウドファンディングで修理が完了して、今回の展示で修理後初演奏。

 

曲はガーシュウィン、ラプソディインブルー。

 

自動演奏の音源元となった 紙のパンチングテープ は、ガーシュウィン本人が演奏したものを、紙のパンチングテープにおこしたものである。

 

時代を経て、ガーシュウィン本人の演奏が蘇る。

 

期待が高まる、演奏を聞く人はたかだか30人ほどだが、静寂と緊張に包まれる。

 

自動演奏が始まる、物凄い臨場感、迫力、そしてラプソディインブルーの誰もが聞いたことがある、優しく、緩やかで身体が溶けそうなメロディー、天にも昇る気持ちである。

素晴らしい、素晴らしいすぎる。

 

そう思ったのは私だけではなかったようで、演奏が終了したときには、自動演奏に対して大きな拍手が鳴り止まない。

 

それぐらいの感動に包まれた。

背筋がゾクゾクする。

 

このピアノを゙作ったスタンウェイに感謝、曲を作ったガーシュウィンに感謝、この自動演奏のシステムを作った技術者、職人に感謝、何よりこの古い時代の自動演奏を゙現在まで大切に保管維持してくれた、京都嵐山オルゴール博物館に感謝、そして今日こんな時間が持てた事に感謝。

本当に、良い時間が持てました

 

オルゴールの良い時代は過去のものになってしまったが、現在も最新の物はある。

ただ、残念な事に質感は昔の物に遠く及ばない。

 

まー、楽しい展示、催しであった。

 

気功を始め、感覚的なものが変わって来ているように感じる。

現象事体は変わっていないが、受け手の感覚が変わってきている。

 

特に音などは、考えるより先に脳に届くので、人間のいやらしい二次的思考に影響される事が無く、音本来を直接楽しむ事が出来る。

 

 

そういった意味では、音と言うものの影響は大変大きいし、別の意味では怖さもある。

 

こういった効果を、人間は良くも、悪くも利用してきた。

 

そういった現実はあるものの、今回のオルゴール、自動演奏展は本当に穏やかで、心地よく、豊かな時間が持てた。

 

これもある意味では、瞑想であったと思う。

 

世の中には心豊かで穏やかな物に溢れている。

それに気づくことを現代人は忘れてしまっている。

 

これらのオルゴール、楽器類は嵐山の物であるらしい。

 

また、時間を作って京都嵐山オルゴール博物館にも行ってみたい。

 

ガーシュウィンは本当に良かった!