信じること、疑うこと難しい問題です。

 

信じる事、疑う事、誰もが持っている心の動きではないでしょうか。

 

疑う事は簡単ですが、信じる事は以外に難しいです。

 

人間という生き物は、基本的に相手を信じる生き物だそうです。

それは、進化の中で会得した能力だそうです。

人は相手を信じる事で、効率的な狩りが出来るようになり、他の動物に比べ多くの食料を獲得出来るようになりました。

相手を信じる事が人類に発展に大きく関わりました。

 

しかし、騙す人が多くいるのも周知の事実です。

男に騙され、女に騙される。

私、ダメなのよねツイツイお金を出しちゃうの

わかっているんだよな〜、でもいい女なんだよ

 

等など、人生、谷あり谷あり、ムチとムチ

ご愁傷様でございます。

 

さていよいよ本題です。

 

悟りという言葉があります。

さて、悟りの対義語はなんでしょうか

自分は最近まで知りませんでした。

 

悟りの対義語は 迷い です。

 

迷いが生じると、あっちかな、こっちかな、いやそっちかな。

少し穴を掘ると、疑心暗鬼になり、次の瞬間別の場所を少し掘り、また迷いが生じ別の場所を掘る。

 

これではいつまで経っても、欲しい物は得られません。

 

しかし、信じる事が出来れば迷い無く最短の道を行く事ができます。

 

名古屋〜東京へ行くのであれば、東京行の のぞみ に乗れば、ほぼ最短で最速です。

 

しかし、迷いが生じ、東京に行きたいのに、九州へ行き、横浜に行き、また、四国へ行き、その後北海道、そしてイルクーツクへ、私は、何処に行こうとしているのでしょうか?

誰か教えて下さい?

 

両者共に、最初は東京へ行こうとしたのです。

 

しかし、両者には大きな大きな差が生まれます。

かたや辿り着き、かたや未だに彷徨い歩く。

 

間違っている情報を信じたり、善からぬ人を信じる必要はありませんが、いつまでも迷っていては、何も得られません。

 

信じる、信じないの前に、正しく、善良という大前提はありますが、勇気を持って飛び込み、信じて疑わないと言う選択をしないと、辿り着くのは難しいのでは無いかと個人的には思っています。

 

何でもかんでも信じろとは言いませんが、どこかのタイミングで信じると言う選択をしなければならないと思います。

 

そして、信じようと思える様な瞬間は、そうそう簡単には、訪れません。

 

縁と言って良いかと思います。