第一夜、第二夜では身体と心について語りました。
第三夜は、遊び編です。
遊び編?と思われる方も多いのではないでしょうか。
気功が遊び?
もうちょっと、真面目な内容にしてくれよ!
しかし、私は、大真面目です。
遊びと言う表現を使わないとすれば、楽しい、面白い、が当てはまるかなと思います。
気功は、心身共に整えていく文化です。
気功は短期間でも効果がでます。
しかし、長く続けて行うことにより、効果が継続的に得られ、本当の意味での恩恵にあやかれます。
大切なのはコツコツ続けることなのです。
よく聞く決意表明があります。
明日からは運動するぞ! 等と言う言葉は本当によく聞きます。
しかし、続けられる人はほぼいません。
残念ながら、これが現実です。
何故でしょうか。
それは楽しくない、面白くないからではないでしょうか?。
そうなのです、人は楽しく、面白ければ続けますが、そうでないものは、やがて飽きて止めてしまいます。
子供等はヤメロと言ってもゲームをやりますし、隠してあるプラレールを探し出し遊びます。
人は楽しい事、面白いことはヤメロと言われても、そうそう簡単にはやめないのです。
自分にも当てはまります。
中学生の頃でしたが、勉強が大嫌いな私は、アニメを見るのが好きで、絶対にドラえもんは見ていました。
三者懇談の時、母親にドラえもんの事を暴露され 先生からも勉強するように強く言って下さい と言われ大恥をかいた事があります。
そんな事を言うとお前らギッタギタだぞ〜(ジャイアン風)と心の中では叫んでいました。
この、アニメ好きと言うのは、多くの人にも共感が得られやすいのではないかと思います。
しかし、そうでないものもあります。
一般的に辛いと言われる事であっても、本人はそうでは無いと言う事があります。
一時期、どっぷりとシーバス釣(スズキ)にハマった事があります。
最初の頃は人からも 釣りバカ 等と言われていましたが、釣に対する情熱が 釣りバカレベルでは無くなり 釣りバカ → バカ釣り師(意訳:バカな釣り師)と呼ばれるようになります。
仕事は生活の為で、釣りの為に生きているような状態でした。
仕事が終わったら、夜釣りに行かなければならないので、残業などはあってはならないのです。
仕事は定時までに、絶対に終わらせなければなりませんでした。
当時、仕事の取り組み方には、鬼気迫るものがあったと思います。
仕事が終わり速攻で家に帰り、夕ご飯を食べ、釣り場に向かい 00:30 ぐらいまで釣りをし て2:00 に帰って寝る。
釣りスタイルは中々厳しいストロングスタイルで、時には雪が舞い、土砂降り、強風、状況により釣り用のゴム長靴を履き、胸まで水中に入っていました。
冬ですので水温は低く、身体は凍えます。
しかし、あまりの集中力に体が凍えている事にも気が付かず、もう少しで低体温症になりかけ、やばい事になった事もあります。
そんな異常な生活を送っていました。
人からは頭がおかしいと言われていましたが、自分でもおかしいと思っていました。
この生活を止めようと思い、寝床に入っても、このルアーを買おうとか、あの場所なら釣れるかもしれないとワクワク感が止まりません。
煩悩、雑念が浮かび、目がギンギンになってしまい寝れないのです。
どっちみち寝れないので、寝床を抜け出し夜釣りに行き、疲れ果て帰って寝る。
そんなルーチンが相当期間続きました。
こんな事、人からすれば千日回峰行か?。
金貰っても嫌だわと言われていましたが、本人は楽しくて、楽しくてしょうがないのです。
止められるはずがありません。
楽しいと言うのは、何にも勝ると思います。
私は武術も嗜みますが、この時代そんな技術を使う必要もなく、生活に必要か?と言われれば 全く以てごもっともでございます としか言えません。
しかし、武術は先人が命を懸けて伝えて来た文化が、凝縮されています。
乱暴とか危険とか、それははるかに凌駕する魅力があります。
ですから、何年取り組んで上手くなっても、まだ、まだ先があります。
雲、山、雲そして山、そんな言葉が武術界にはあります。
雲を抜け山の頂上が見え、頂上にたどり着くと実はそこは頂上ではなく、雲がかかった山がまだ先に連なっている。
武術は少し上手くなると、その先の課題にぶち当たり、そこを越えると、また課題にぶち当たります。
人によってこの状態をどう思うかは?ですが、私などは新しい課題にぶち当たるたび、まだ楽しませてくれるのかと、楽しくてしょうがありません。
前出で書いたシーバス釣りは、頭が狂ったように通い、腕前が上がってしまい、行けばほぼ釣れるような状態になってしまいました。
釣れるのが分かっている釣りなんて、楽しくもなんともありません。
結局私の目標は達成されしまい、色々考えて、工夫して、と言う必要がなくなり、あれほどワクワクしていた気持ちが無くなってしまい、今では殆ど行くことは無くなってしまいました。
人間、目標が達成されると腑抜けになるものです。
さー前振りが長かったですが、気功の話です。
私は気功には興味があったものの、ここまで深く入り込むとは思ってもみませんでした。
気功はただの、健康体操だと思っていました。
確かに、健康に関する文化であることは間違いありません。
しかし、そんな簡単な物でもありません。
これは断言させてもらいます。
個人的な感覚では、身体と心の文化、極論すれば人とは何ぞや、と言うところまで踏む込めると思っています。
最新の科学であっても解明されない物が、気功にはあると思います。
それが楽しいな~と思います。
理論が分からなくても、頭で理解できなくても、現象と言う形で気功は体験させてくれます。
そんな現象に出会うと、既成概念が壊れ、本当の意味での自分らしさに出会えます。
そんな体験が楽しくてしょうがありません。
そんな体験をして満足していると、まだまだ先があることが分かってしまいます。
もーどれだけ楽しませてくれるんだ と思います。
気功に取り組んで、誰もがこんな気持ちになるかは、正直?です。
しかし、そんな気持ちになる可能性はあると思いますし、深い経験をすれば多くの人が、気功の楽しさに引き込まれるのではないかと思います。
しかし、地道な練習が必要であることも、間違いありません。
あっちで穴を掘り、こっちで穴を掘り、それではモグラにも劣ります。
同じ穴をコツコツ掘り進む事でしか、たどり着けない事も事実です。
気功は真剣に遊んでよい文化だと思います。
そして 楽しい と言う気持ちになれば、続けることができます。
穴さえ掘り続ければ、必ずたどり着きます。