二夜目は禅密気功の核心部であり真骨頂。
心についてです。
この心と言う表現は、非常に曖昧な表現です。
正体不明な感じがあり、誰でも、なんとなく説明が出来ますが、誤魔かし表現が出来てしまうものでもあるなと思います。
私は武術を嗜みますが、このの界隈の人はやたらと心と言う言葉を使います。
しかし、瞑想を始めると、そう簡単にやたらと使ってよい言葉ではないなと、個人的に思うようになりました。
要は心に対して、納得出来る説明を聞いた事がほぼないと言うことです。
禅密気功で、心に絡む部分は瞑想です。
禅密気功の瞑想は3つの種類(4種類)あります。
各々の瞑想で、心との関係性は基本的に異なりますが、完全に分離している訳でもなく、各々が緩やかに結合、重なりあっています。
当初、瞑想と聞き胡散臭を感じました。
そう思う人は、世の中には多くいると思います。
そして、人によっては、ほぼ、胡散臭さで構成されていると言ってもよい教え方をしている人もいます。
そういった類いの人たちは、アンドロメダ大星雲の彼方で勝手に語っていただくとして、我々は練習と効果の部分を、真摯に見つめて瞑想に取り組んでいくべきだと思います。
何故こんなに自分が、瞑想にハマってしまったかを説明しなければなりません。
私は武術を嗜む事もあり、人に比べ身体や脳に関する事への興味が、人より旺盛であると思います。
よって、素人の横好きですが、科学番組等を相当好んで見る達の人間です。
少し前までは分からなかった、麻酔がどうして効くのかとか、臓器に対して脳からだけの信号だけでは無く、臓器間の伝達物質のやり取りだけでも働く司令系統があったり、そもそも、手の動きなどは、脳を介さず動く司令系があるなど、知らない人が聞くと、驚くような機能が身体にはあります。
脳なども機能ごとに担当する領域が、確実に決まっていたり、天才脳と言った現象も徐々に解明され、脳に対して直接外部から電気信号を送り、制御しようとする実験も結構前から行われていたりします。
そもそも、簡単な部分では、脳細胞を人工的に作ることにも成功しています。(倫理的な問題はありますが)
昨今の科学の進歩には、物凄いものがあります。
今後も量子コンピュータ等が、実用レベルになればとんでもなく色んな事が解析され、さらなる進歩に繋がるでしょう。
しかし、自分には疑問があります。
科学はどんどん深掘りして細分化していき、細分化したものを、さらに細分化して、結局、全体像としての脳の解明に辿りつけるのか?非常に疑問です。
そして、これも凄いとは思いますが、禅や、瞑想が辿りついた境地に対しては、現代の科学を持ってしても、全く追いついておらず、大部分が解明されてはいないと思われることです。
マインドフルネス等は、科学、医学に基づいていて、分かり易いと言う意味では、大変ブームになりました。
しかし、歴史ある瞑想文化に比べると深みが足りず、物足りなさを、個人的には感じています。
優れた瞑想文化は、まだまだ、最先端科学のずーっと先を行っていると思います。
しかし、最先端の科学者や、医者の凄いと思うところは、瞑想や宗教文化を否定せず、元となった文化に切り込んで研究を行うところです。
科学とか宗教とかに関係なく、現象としてあるならば、宗教からも学び、それを科学で解明していこうとする人達がいます。
倫理的に間違いを起こさず、このまま研究が進めば、瞑想文化が持つ恩恵が誰にも得られる日が来るかもしれません。
それが、いつになるかは分かりません。
だから、待ってはいられないのです。
ただ一つ言えるのは、正しく、たくさん、コツコツ練習することで自分の心(脳)の働きは変えていけることです。
そして、この変えていく行為は、とてつもなく楽しいと言うことです。
優れた瞑想文化を保持している団体は、少ないかもしれませんが、良い団体の瞑想であれば、現代のストレスにも、かなり対応できるだけの技術と智慧を確実に持っています。
瞑想などは、シッカリと習えば自宅でもできます。
身体も大切ですが、心もとても大切です。
瞑想が進むと、心が嬉しくなるような感覚がでます。
瞑想の嬉しさは、高価な物を買うとか、満漢全席の料理を食べるとか、世界一周クルーズ旅行に行くとか、これでもかとお金を必要とはしません。
ふっと微笑むように瞑想すると、不思議とほっこりと、穏やかになり、そして嬉しくなります。
以上