今年は、下記の短期集中コースに、参加しました。
気の瞑想
陰陽合気法(天地部)
小周天瞑想
吐納気
心の瞑想
陰陽合気(人部)
こうして1年を振り返ると、結構、集中コースに参加したなーと思います。
今年の一番大きなテーマは 不二 でした。
この言葉は、一時期、朱剛先生がよく口に出されていたので、記憶に残っています。
※不二:二つに見えるが、実際は一つであること。(多分、仏教用語だと思います、他に良い表現が思い浮かびませんので、不ニを゙使います。)
不二 の重要性は今の、世界情勢にも見られます。
私が良い、私達が良い、私の国が良い、その表現の裏側には、あなたが悪い、あなた達が悪い、あなたの国が悪い、どうしても反発する価値観が発生してしまいます。
単純に、考えて絶対的に良い、絶対的に悪いなどありえません。
良いところも、悪いところもあります、だって にんげんだもの(みつを)。
不二は、結構大切な概念です。
この 不二 は自分の中では、結構大きな問題で、瞑想を始めて、昨年ぶち当たった課題です。
瞑想を始め、素晴らしい経験を持った反面、嫌な事、辛いことが、逆に際立った1年でした。
宗教家であれば、素晴らしい体験や、境地に至れば、そのまま、寺や山に籠もり、心身が盤石で安定するまで、修行すれば言いのですが、私達は日々の生活、仕事を続けながら、練習しなければなりませんので、ある意味、宗教家の人達よりも、条件設定は相当に厳しいと思います。
水と油の様に、良い、悪いが、よりハッキリと感じられた年でした。
これは、中々、辛い事です。
朱剛先生が、瞑想もある段階になると、世間と関わるのが本当に嫌になり、一人になりたいと思うようになりますよ と言ってみえたのを思い出しました。
まさに、そのとおりでした。
良い と 悪い どちらがよいですかと聞かれれば 良い方に決まっています。
そして、その 良い 状態になるだけの、練習方法を私は知ってしまいました。
しかし、現実は 良い状態 だけにトドメてはくれません。
色んな事が五感を゙通し、心を掻き乱し、刺激します。
良い状態であっても、五感から入力が臨界値を゙超えると、一気に心が傾いてしまう。
自分の精神の、安定度の無さを突き付けられ お前もまだまだだ、もっと練習しなさいと、自分自身から教わりました。
朱剛先生が、以前に話された事を思い出しました。
朱剛先生が色々と悩んでみえた時期、朱剛先生の先生に相談されたそうです。
その時、朱剛先生の先生は
それは、良かったですね!
と言われたそうです。
その時、朱剛先生は 何が良いものか、私は悩んでいるんだ と思われ、憤慨したそうです。
ですが、今になって思えば、先生が言われた事がよく分かります、との事でした。
私がこの話を聞いた時、何を言ってみえるのか、サッパリ分かりませんでした。
正直、今も分かりませんが、多分 不二 の事を言ってみえたのだと思います。
そして、そう言った事が少しずつ、身体で理解出来るようになって来ています。
この 不二 は太極思想にも非常に似ています。
陰陽の関係です。
※太極図、別名、陰陽魚図、黒(陰)、白(陽)の
オタマジャクシ図形は、黒と白の魚とされます。
黒の中にある小円の白、白の中にある小円の黒
はそれぞれの魚の目です。言いたいことは黒に中
にも白が有り、白の中にも黒がある。これは陰の中
にも陽が有り、陽の中にも陰があることを示してい
ます。絶対的な陽、絶対的な陰などは無いと言うこ
とを示しています。この図は本来は動いていること
が前提です、同じ状態は一瞬たりとも無く、常に
陰陽が混ざり合い動いている事を示しています。
ここでは分かり易いように
陽:光
陰:影
とさせていただきます。
光と影、言葉にすれば別々ですが、光と影は各々、個別に存在する事はできません。
光があれば、そこには必ず影があり、影があるところには、必ず光がある。
光と影は二つに見えるが、本来は一つの現象なのです。
光が強ければその分、影も深い。
本当にそんな1年でした。
しかし、悩みながらも日々の練習を続ける事で、光と影の存在が曖昧になって、溶け合ってきています。
光を生クリーム、影を卵白とするならば、この別々の素材を、来年は一生懸命、混ぜ混ぜ、乳化させ、美味しい美味しい、一つの現象である、ホイップ生クリームに仕立てたいと思います。(瞑想を通じ、パティシエになる訳ではないです。)
今年も、あいも変わらず、下らないことに、お付き合いいただき、ありがとうございました。(来年も下らないことは、間違いないです)
では、皆様、良いお年を。