お昼は中華

先輩会員の方の、禅密気功が始まった初期の話をお聞きした。
大変、貴重で内容的にも相当に面白かった。
私達は先輩方々、先人が残された、膨大な智慧を゙大切にしていかなければならないと、切に感じました。

その中で、当時のマスコミの気功の取り上げ方について、話されました。

当時のTVでは、気功はキテレツで特殊な能力が発揮できる的な物ばかりでした。

そういう自分も、そういったTVを゙見ていました。

以前、ブログにも書きましたが、私はTVの影響で 気功は、インチキで怪しい と言った印象を強烈に持ちました。

しかし、本来の気功の主目的は健康です。
導引、吐納、行気等が示すように、如何に健康になるか、そんな事を何千年も掛け、その体験を纏めた文化です。

先輩会員の方も 面白おかしければ何でも良い的な 気功の取り上げ方には、非常に疑問を持たれたそうです。

それは、禅密気功を通し健康になったり、なられた方々を、多く目にしたからです。

視聴率さえ取れれば、金さえ儲かれば、当時のマスコミ、インチキ気功師の罪は重罪です。

今の世もマスコミの問題、インチキ詐欺師は世にはびこっています。

今や、極度に発展した情報社会です。
無意味に、垂れ流される情報には、本当に気をつけなければならないと思いました。

昼食の部終了

昼一の瞑想は、今一つでした。

瞑想中に画像が多く浮かび、それに少し引っぱられ、連鎖的に色々考えてしまった。
自分もまだ、まだ。

しかし、何の苦痛も無く普通に1時間半座れる自分がいる。

多少は進歩している。

雑念は、瞑想の友達なので、今後も末長いお付き合いが続く。
こんな瞑想の時もあります。

昨日も、今日もだが、昼寝時間に全く寝ていない。
何故かって?
それは眠くないからです。

疲れは全く無い、身体はニンニク注射の後ぐらい元気だ。(昼御飯、ニンニクの芽炒めだったし)
今が無敵だと思える。
別に、いけない薬を゙やっているわけではありません。(ヤクルト1000は飲んだけど)

そして、今回最後の瞑想に突入。
丹田→密処→天頂→慧中→背骨ライン。

禅密気功 フォーメーション人部 完成。

上手くいっている。

慧中の感覚が、ハンパなく良い。
こんな感覚は、過去一だ。

気感が満ちて、心地よさが慧中にへばり付いた。
ちょっとや、そっとでは剥がれない。(心地よさ湿布が、強力ボンドで額に張り付いているぐらい)
フォーメーション人部、最強です。

とても不思議な感覚です。

教室が張り詰めています。
物音一つ立てられないぐらいの緊張感がある。
鼻息一つ、他人のツバを飲む音、服の擦れる音、他の人の音にならない姿勢の変化。
これらが全て認識できる。
今までと同じ教室ですが、今までとは全く異なる教室です。

教室は教室ですが、教室はやはり教室です。

この張り詰めた、緊張の極致が好きです。

刀を持って、向かい合った時ぐらいの緊張感です。
少しでも身動きしたら斬られてしまうような緊張感、でも心地よい気持ちもある。
相反する気持ちが、同居している不思議な感覚。

教室全体、他の会員の方、先生と自分が無数の細い細い糸で繋がっていて、少しでも何かが動くと、糸が切れてしまうような緊張感。

床が薄い薄い氷でできてきて、少しでも動けば氷が割れ、奈落の底にまで落ちそうな、静寂な空気。

最高です。

しかし、身体は緩んでいます。
こんなのは、やはり言葉で説明するには限界がある。

先生の、丹田に気を戻して下さいの掛け声で、張り詰めた教室が、いつもに教室に戻る。

気づくと2時間座っていた。

そして、暫く 心の瞑想。

先生の いいですね 今の気持ちを見守って下さい。
そして、普段の生活でも、この気持ちを忘れずに、離れてもまた戻ってください。

常に、景色の良い、山の頂上で生活出来る理由では、ありません。
必ず、里に下りる時がやってきます。

しかし、山の頂上に立って見た景色、経験、感覚は、里に戻っても無くなることはありません。

山の頂上に立った事の無い人は、どれだけ賢くても、どれだけ博学でも、頂上から見た景色を語ることはできません。

経験は、それほど貴重で貴い物です。

その感覚、体験を大切に。
その感覚と体験が、初心に繋がる。

今回は何だかんだで、気の瞑想、光の瞑想、心の瞑想と、結果的にはフルコンプリートでした。

陰陽合気(人部)お勧めです。

今回の短期集中コース、これにて終了。


やっぱり、禅密気功は楽しいなー。

 

おしまい。

 

※密処:会陰
※天頂:百会

※慧中:眉間