陰陽合気法(人部) 2日目
朝御飯は、6時40分に食べ終わった。
時間があるので、站樁をした。
徐々に心地よくなってきて、瞑想に移行する。
テレビ番組で、リスがクルミを食べている。
そんな画面を見ながら、瞑想をしている。
不謹慎なと思われるかもしれないが、心地よさは全く失われない。
生活の中の瞑想が、徐々に出来るようになってきている。
こうなってくると、何をしていても瞑想の練習ができる。
穏やかで、落ち着いた日常が増えていく。
普通の中の普通に、徐々にではあるが近づいている。
ほんと、何とも言えず心地よい、今日は一日ホテルに籠もって瞑想していたい。
そう言う訳にも行かないので、荒川都電に乗り教室に向かう。
2日目が始まる。
まずは昨日の復習を兼ねて、先生が話をされました。
今回の参加者は私を含め、復習の方でしたので、詳細な説明は省き陰陽合気(人部)が全体像として、何をしようとしているのかの説明でした。
人部も功法事体は、細かく分かれていますが、功法に拘り過ぎる事無く、全体を捉えて下さいとのことでした。
確かに、気功の様な体系は、一つ間違うと、手段が目的になってしまう危険性を゙、大いに含んでいます。
功法を゙習ったから、それが全てで、それで良しとしてしまう事です。
何を習ったかは、確かに大切ですが、それによりどうなったのか?のほうが、はるかに大切です。
瞑想は、体験を重んじる文化です。
功法はあくまでも手段です、辿り着くための道具でしかありません。
秘伝や近道はありません。
毎日の地道な練習のみが、功を゙積み上げてくれます。
先生の言われる それほど拘らないで と言うのはそういう事です。
その中で、よく先生が例えに使われる言葉があります。
山は山、川は川の例えです。
山は山、川は川
当たり前の事です。
これは一般の人、訓練を゙する前の状態です。
しかし、練習を経ると
山は山で無く、川は川で無い
と変化していきます。
自分だけの世界が確立します。
そして最終的には
山はやはり山で、川はやはり川である
と変化します。
最終的には自分の世界と、外の世界が融合します。
この物の例えは、理屈でうんぬんでは分かりません。
当たり前の事を言ってますし、理由の分らんことも言ってます。
しかし、練習を経ると、身体で分かるようになっていきます。
最初の山は山、川は川 の状態と 山はやはり山で、川はやはり川 の状態では全く世界観が違うと言うことです。
ホワイトボードには、大円満の功法の詳細な説明部分に太陽、星、月 と書いてありました。
最初は何の事かサッパリ分かりませんでしたが、山と川の話を聞き、何となく想像がつきましたので質問を控えました。
禅密気功、奥が深いです。
2日目の練習が始まる。
蠕動の後、気を丹田に降ろし、密処で気を維持し、そのまま天頂にも気を導き、密処、天頂ラインを結び、気の柱を構築する。
その状態で、気を慧中に導き開く。
最初は多少の雑念が湧いたが、徐々に集中度合いが増していく。
光の中に入るような、自分が光を放つ様なイメージを持つと、目を閉じていても真っ白の雲の中にいるような感覚になる。
死んだんじゃ、なかろうか?
丹波哲郎でも出てくるか?(私も古い)
安心して下さい、生きてますよ。
この感覚は、初めての感覚だった。
真っ白の雲の中に包まれるようで、穏やかでとても心地よい、時間感覚は完全に喪失してしまっている、空間感覚は曖昧で、意識レベルだけは、これでもかと冴えている。
キッリキリのカッリッカリで完全覚醒している。
あっと言う間だ、本当にあっと言う間の間に1時間が経過していた。
相当に、集中した時間であった。
先生の、気を丹田に戻してくださいの声がけで戻ってきた。
潮が引くように、丹田に気が戻る。
呼吸、時間、空間感覚は戻り゙、カリカリの集中力が少し緩む。
珍しい体験ができた。
あー楽しかった。
午前の部、終了。
午前中の瞑想は、本当に一瞬でした。
※密処:会陰
※天頂:百会
※慧中:眉間
2/2 に続く