心の瞑想 2日目

最近の 心の瞑想 は3種類の功法がセットになっている。

蠕動 → 気の瞑想 → 心の瞑想。

部外者の方には、何を言っているのか、全くもって?だろうから、少し解説。

・蠕動で身体を十分動かし、血流を促し、身体の準備をします。
 身体が整い、気感が出やすくなります。


・その状態で、間髪入れず 気の瞑想 に突入して、意念を使い気を身体に導きます。
 気を身体に導くことが出来ると、心地よい感覚が身体に発生します。

・この心地よい感覚を、そのまま引き継ぎ 心の瞑想 に入っていきます。

因みに 心の瞑想=禅 と思っていただいて差し支えないです。

※ここで言う禅は 六祖慧能 の禅です。

まずは 蠕動 から。

その後、気の瞑想に入る。

本来、意念を使うことにより、雑念が湧きにくいが、本日は雑念が湧いた。

何でか分からないが、急に今まで飼っていた犬たちのことを思った。
犬との思い出は、ほぼ楽しいことばかりで、何とも言えない豊かな気持ちになる。
唯一、悲しい思い出は、死別だが、それでも最後の最後に犬たちは、本当に心が温まる思い出を残してくれる。

世間では、犬畜生などとひどい扱いだが、残念ながら、現代に生きる人間なんかより、ずっと、ずっと、ずーっと、心優しい生き物だと思う。
金や権力、地位に拘っている、薄汚れた魑魅魍魎共よ、我が家の犬に弟子入りして、人としての在り方、そして優しい気持ちを学びなさい。
だいぶ、脱線した。

要は気の瞑想では、犬のことばかり考えてしまったが、お犬様のお陰で心が温かく、心地よくなってしまった。
結果、これでOK。

この、心地よい気持ちを元にして心の瞑想に入っていく。

本日、参加の会員の方は、手練れ揃いである。

心の瞑想に入った事で、教室内が独特の雰囲気になる。
例えて言うと、オーケストラで指揮者が指揮棒を振る、その寸前の静けさ、澄み渡る時間そんな感じである。

自分は自分で確立している、しかし、他の会員の方とも、教室の空気との同化している。
空気の揺れもない、物音もない、とても不思議で、豊かで、満たされた空間。
自分が禅寺の、庭自体になってしまったかのような、盤石で澄み渡る感覚。

フェラーリに乗っているわけでは無い、別荘や高層マンションを持っているわけでもない。
でも、豊かで穏やかな時間が今ここにある。
誰もが味わえるが、今ここでしか体験できない、何よりも贅沢な時間。
こんな時間を楽しんでいます。

午前はこれにて終了。

お昼はパスタをいただく。
禅密気功に通いだし、10年ほどになるが、教室の目と鼻の先に、こんなパスタ屋があったとは知らなかった。
値段も安く、味も良いと思います。
自分はネジの様な形の、ショートパスタをいただきました。
中盛りで十分満足です。

食事中は朱剛先生の、中国での修行時代のお話をお聞きしました。
物事は古ければ古いほどよい、といった風潮がありますが、それは間違いで、古いものでも間違っているものは、やはり間違っている。
しかし、良いものが有るのも事実です。
シッカリと検証が必要で、やみくもに古いから良し、としてしまうのは、気をつけないといけませんとの事でした。

自分が一つ質問をしました。

午前中の何とも言えない、一体感のある教室の雰囲気について、なぜなんですかね。

今の科学では、これといった答えにはならないですが、やはり同じ志を持った人が、同じ空間に集まると、先程の様な雰囲気になりますね。
ですから、功法がどうと言うより、集まり練習することの効果は、侮れないとの事でした。

何、ヘンテコな事言っているんだと感じるでしょうが、禅密気功の教室に参加された方の多くの人には納得していただけると思います。
スポーツの団体競技なんかも、この感覚に近いんではないかと思います。

昼寝後も、午前と同じルーチンです。

最近の瞑想は、以前にましてサッパリしてきました。
そうは言うものの、色んな事が起こります。

視覚の中には、教室に敷いてある敷物があります。
畳地のものですが、薄っすらと視点を降ろすと、敷物の色が次々に変わって、斑に変化したり、ラインになって表れたりします。
フッと横を見ると、コンクリート製のマスが見えます。
あー幻覚だな。
幻覚なんて、意識が朦朧としてくると、もれなくセットでついてくるので無視です。
トンカツ定食についてくる、パセリぐらいの扱いでいいと思います。
まー色々と起こります。

午後からは、結構集中していましたが、ここで二回目の昼寝です。
今日は体力的に全く疲れがないので、自分は寝ませんでした。

しかし、みなさんグースカピーです。

一人の会員の方は、時間になっても起きませんでしたが、それもアリアリです。
眠い人は、寝ていても良いです。
眠っている人を起すと、20万円以下の罰金か3年以下の懲役です。(本当か?)

会員の方で、瞑想会は敷居が高そうと敬遠される方がみえます。
瞑想会で朱剛先生が、唯一ルール的に言われるのが 絶対に無理をしない です。
痛いのは我慢しないといけない。
身体が固まってきたけど我慢しないといけない。
無理して結跏趺坐で座らないといけない。
足が痺れても我慢しなければいけない。

全部我慢しないで下さい。
疲れたら、横のソファーで寝て下さい。
煮詰まって来たら動いて下さい、散歩にいってもいいです。

そのぐらいの包容力は江戸川橋、禅密気功の教室にはあります。

痛いのや、辛いのが好きな人は、どこぞの地下室でマスクとムチを持って集まってください。

 

午後二の瞑想に入ります。
横では会員の方が違う瞑想をしています。(この違った瞑想の事を世間一般では 睡眠 またの名を グースカピー瞑想 と言います)

午後二の瞑想もサッパリとした気持ちです。
ですが集中力はあります。

少し落ち着いた、平常の生活のようです。

宮本武蔵が言った 常の心 とはこの様な心持ちであったのかもしれません。

本日はこれにて終了。

夕御飯食べて、風呂入って、座樁するぞ。

 

三日目に続く