最終日、三日目。
朝イチは蠕動から。
全ての関節をしっかり動かし、身体の隅々の筋を伸ばし、気の通り道を確保。
最終日は、全てのおさらい。
先生から 今日は二日間の内容を自分なりに試して下さいと 瞑想前に周知があった。
先ずは気入丹田から。
基本中の基本をしっかりと抑える。
吐く息に合わせ、気を丹田に導引する。
丹田に熱感が籠るよう、気感で丹田が膨張するように。
意念を使う、よって導引は意識的に行う。
意識を保っている為、身体の感覚が無くなったり、時間間隔が喪失するような事は無い。
だが、意識が丹田に集中しているので、ほぼ雑念が湧かない。
とは言うものの雑念は湧く、午前中は瞑想中に短い時間であったが、三回夢を見た。
まーよくある事でなので無視。
雑念が湧くと、それに連想する夢を見る。
自分もまだまだだ。
しばらくしてから丹田の気を名門、玉枕、天頂まで導引する。
気が前頭葉辺りに凝縮し始める。
前頭葉の中にとても気持ちの良い感覚が発生する。
あー気持ち良い。
この感覚は、昼食時まで続いた。
ご飯を食べていても、何だかうっすら気持ち良い。
何だか得した気分である。
瞑想をすると、瞑想を離れてもこういった感覚が結構持続することがあるので面白いと思う。
昼食後はそれほど特別な感覚は発生しなかったが、常に落ち着いていて驚くほど心は静かであった。
教室室内はクーラがよく効いているのだが、それでも全身がうっすらと温かい。
とても、心地よい。
心も身体もリラックスしているため、身体のあちこちが痒くなる、気功アルアルだ。
呼吸と気感も合っている。
全く無理が無い、いい感じだと思う。
自然と言う言葉が使えるなら今がそうだと思う。
朱剛先生の目を開けて下さいの掛け声で全員が目を開ける。
そのまま少しだけ心の瞑想に入り、穏やかな気持を持ったまま、3日間の小周天コースは終了です。
そして少しだけ、心の瞑想についての説明がありました。
心の瞑想(禅)は、この穏やかな心を見守るところから修行が始まります。
ですから、この穏やかな心が構築できていないと 心の瞑想 に入っても意味は殆どありません。
ここが禅密気功の真骨頂です。
一般的には 四禅八定 の 初禅 と呼ばれる状態の事です。
小周天は言わずと知れた、道教系の瞑想ですが、自分たちには道教系であるとか、仏教系であるとかは関係ありません。
それぞれの練習をすることで、どのような効果があるのか、どのような心の状態になるのか、身体と心の健康面にはどうか?、ただそれだけです。
現代で普通に生活する中で、有効な物は学ぶ価値があると思います。
ですから、過去の文献を参考にして、それを体験する事に重きをおいています。
そして、体験を元にして物事を語ります。
ですから文献だけを読んで知った風を気取ったり、やたらと人に公爵を垂れる事はありません。
私達が大切にしているのは先人の知恵に基づき体験を重ねる事です。
世の瞑想を謳う教室で、これほどの期間と時間を座る事に割く教室はあるのでしょうか?
あるのか無いのかはわかりませんが、禅密気功の瞑想会は、このように行われています。
禅密気功でお茶の味について語る人は、お茶を飲んだ事がある人だけです。
瞑想について語るのは瞑想を体験し、それに基づいた経験のある人だけです。
私達は学者では無く実践者ですから。
※実践と経験を重んじてはいますが、過去の文献や理論を蔑ろにしている訳ではありません。
三日間の短期集中コースこれにて終了