昼からも気入丹田の練習です。
練習が単調なので、少し飽きが来てしまいました。
気を丹田に落とすのが嫌になってきました。
最近、とっても忙しく結構イライラしていたのですが、その感情が練習中に湧いてきてしまう。
心の奥が妙に腫れぼったいような、垢で汚れているような、とても嫌な感覚なのだが、自分の心の奥底にあるので、どうする事も出来ない。
どうしても、気を丹田に落とすのが嫌になってしまい、しばらく気を回していたら少し楽になってきた。
また、気入丹田に戻るとかなり楽になっている。
瞑想の練習中に心の奥底の、嫌な部分が出てきたことなど、今までなかったので驚かされる。
瞑想には心の奥底の汚れた部分を、掃除してくれる機能があるんだなと、驚かされた。
ちょうど良いタイミングで二回目の昼寝となる。
30分ほどであったが本当に熟睡した。
ここ数ヶ月、忙しすぎて、こんなに純粋に寝れたことが無かった。
20代の頃の12時間睡眠に匹敵する質の睡眠であった。
昼寝後の瞑想に入る。
最初は気入丹田を意識していたが、途中で瞑想に没頭してしまい、呼吸も丹田の意識も忘れてしまう。
身体の感覚は完全に消えてしまった。
身体が無く、感覚も無いので時間の感覚が完全に喪失してしまう。
瞬間も永遠も同じである。
だが、重厚で濃厚な心地よさだけが存在する。
あー今、自分は幸せだ。
ここのところ、相当に忙しかった。
一人仕事で、トラブル続き、そもそも仕事量も、予算金額も一人の仕事では無い。
相当、煮詰まっていたし、常に頭は興奮状態、話も当初聞いていた話と違う。
文句の一つや、二つや、三つや、四つや、五つや、六つ、もっと沢山言いたくなる。
徐々に睡眠時間も減っていき、ひどい時は2時間であった。
しかし、朝の築基功と瞑想は、なんとか休むことなく続けていた。
築基と瞑想がなかったら、身体は持たなかったかもしれない。
しかし、心にはダメージが残った。
それは、自分の感覚でなんとなく分かるものである。
普段の瞑想の質は落ちた状態が続いていた。
ダメだ心の奥がやられている。
だが残念ながら、今の自分では周囲で起こる様々な、事象から心を守るだけのレベルには達していない。
実力不足、まだまだである。
瞑想をして、心の修復作業はしていたが、傷つく速度のほうが早く、修復が追いつかなかった。
それでも、やっぱり瞑想をしていなかったら、もう少し荒んでいたと思う。
思わぬ効果を発揮していたのが、築基功だ。
睡眠不足で頭痛の中、築基が血流と疲れを緩和してくれた。
この時期の、唯一の援軍は築基だったと思う。
そして今日、今までの自分のいつもの瞑想ができるように戻った。
やっと帰ってきた、やっと自分を取り戻した。
この後は徐々に、今までの自分に戻って行けると思う。
瞑想なんて、何の役にたつんだという人が、いると思います。
それについて、どーのこーの言うつもりは全くありせんが、個人的には適切な時期に、適切な時間、行う事ができれば、かなり役に立つのでは無いかと実感しています。
不幸な人を救える可能性が、あると思います。
現代医学は、もう少し古の知恵に興味を持つべきだと思います。
流行りのマインドフルネス、という手もありますが、個人的にはマインドフルネスは深みに欠けると思っています。
取り組める、事象が限定的だと思います。
瞑想を習うのであれば、本当に瞑想を指導できる指導者に付くのは、絶対的に必要です。
何故なら、瞑想は言葉では伝える事が出来ない、文化だからです。
本当の愛情が、言葉や数字で表せないのと同じです。
瞑想は本当に気軽に始められる一面を持っていますが、その反面、生半可な気持ちではたどり着けない一面をも持っています。
どのレベルを選ぶのかは、その人、本人です。
色々と思うことも在りましたが、今日も一日、好い日でした。
日課の座樁をして寝るか。
続く