家での瞑想と並行して、短期集中コースの瞑想会には頻繁に参加していました。
自分は何故か、短期集中コースの瞑想会が好きでした。
集中コースの瞑想だからと言っても、雑念は結構湧きましたが、地元の瞑想に比べ格段に質の高い瞑想時間を持てた事は、間違いありません。
瞑想は言葉で表せば 静かに座っている それだけですが、地元で行う物と、東京の教室で行う物とは、明らかに質が違っていました。
何故だかは未だにハッキリ分かりませんが、一つ分かったのが瞑想の前に必ず築基功をキッチリ、丁寧に30分ほど行うと言う事です。
この法則性に気づいた私は、瞑想を単体で行うより、築基功+瞑想=本当の瞑想 と言う仮説を立てました。
よって、瞑想を行う為には、基本に忠実な築基功を行い、築基功で得た気感を基に瞑想に突入するスタイルへと基本を墨守するようになっていきます。
このころに初心者がいきなり座る、効率の悪さに気づいていきます。
禅密気功は気功の二文字が入っていることが示すように 気 を非常に重視しています。
ここで言う 気 は 神秘のエネルギー とか 宇宙エネルギー と言ったたぐいの怪しい物ではありません。
自分の体の中に発生する感覚の事で、代表的な物がいくつかあります。
瞑想の初歩は雑念を抑える為、何かに集中する事が効率的です。
その何かは息を数える事であったり、息自体を観察する事ですが、気感 と言う具体的な物があると意識を非常に集中しやすく、その後の 止 → 観 と言った状態に大変移行しやすくなります。
瞑想会に出ることにより、こういった事が 身体で理解する 事ができるようになります。
瞑想会は3日~5日ぐらいで行われる事が多く、座る姿勢、座る為の筋力強化と言った面からも非常に勉強になることが多い。
気感についても、かなり強く、濃い物が発生し、大変良い経験ができます。
最初の頃はやはり雑念が多かったと思いますが、それでも瞑想を行っていると、非常に穏やかで、心地良い感覚が発生して驚かされました。
心はとてもリラックスした状態で、血流が良くなるのか、手の指がパンパンに腫れるぐらい血流が良くなりました。
瞑想などは個人の状態の事なので、自分の事は自分でしか分からないし、自分の状態など言葉にしない限りは、人からは絶対に分からないと思っていましたが、驚きの事が起こります。
その日は、今までの中で一番良い瞑想ができたと思いました。
非常に濃い気感が発生していて、その気の感覚に意識を集中する事が出来、気に包まれたような重量感、安定感が表れ、意識の集中も過去の中では一番でした。
その日の終了時に 朱剛先生から声を掛けられ、自分が経験した感覚、身体と心の状態を
今日は〇〇の状態で心の状態は〇〇でしたね、良い瞑想だったと思います、上達してきています
と、まるで私の心の中を見て来たように語られ、非常に驚きました。
朱剛先生が言われる言葉は、私の経験したまさにその状態を、適切に言葉にした物でした。
朱剛先生、心見えるんだ、これには本当に驚かされました。
瞑想会の質の高さ、朱剛先生の人を見る能力の確かさには本当に驚かされ、今後の瞑想の希望となりました。
瞑想は心の練習なので、心の状態が客観的に観えなければ、アドバイスもできません。
人の心の状態が分かる人なんて、この世にいないだろうと完全に決め込んでいましたが、人の心の状態が分かる人が、目の前現れました。
朱剛先生です。
この事実には、本当に驚かされました。
先生を見る目が、完全に変わった事は言うまでもありません。
初めて教室を訪れた時、朱剛先生に対して、何とも言えない気持ちになりました。
具体的に言葉には言い表せませんが、自分なりに何かを感じていました。
その何かの一つが 具体的になって目の前に現れた、瞬間でもありました。