やっと、毎日決まった時間に瞑想を行うようになりました。

 

しかし、瞑想をしたからといって、必ず気持ちが穏やかになるとは限りませんでした。

同じ時間に瞑想をしても、心の落ち着き具合は驚くほど毎日状態が違いました。

 

体調によるところも大きかったと思いますが、この中である法則性を発見してきます。

 

心が穏やかにな状態となるには、瞑想を始めてから30分以上の時間が必要だったことです。

あくまでこの時点の私で、30分と言う事で、他の人に必ず当てはまるとは言えません。

ですから自分の場合、瞑想を始めて30分以上からが本当の意味での瞑想となりました。

この瞑想の時間については過去に、仲の良い会員の方とも何度も話題になった事があり。

 

やはり最低でも1時間はやりたいと、皆さん言ってみえたのを記憶しています。

 

自分に照らし合わせても、最初の30分は導入部の捨て時間なので、できれば朝瞑想に1時間は欲しいという結論になりました。

 

結果、あと15分早起きして、なんとか50分の瞑想時間を確保する事になりました。

 

この15分の早起きは、結果から言うと正解で、やっと瞑想らしくなってきたと言える時期だったと思います。

瞑想らしい 穏やかで、落ち着いた時間がたびたびですが、やっと訪れてくれるようになってきました。

 

毎日必ず訪れてくれるわけではありませんでしたが、頻度は確実に増えていきました。

自分にとっても自分の心に、手綱が繋がって制御できるようになってきた時期で、嬉しい気持ちになったのを覚えています。

 

雑念は湧きましたが、以前に比べ相当減ってきており、自己嫌悪から少しずつ抜け出した時期でもありました。

確信したことは、初心者にはある程度まとまった瞑想時間が必要だと感じた事です。

 

この時期はマインドフルネス、禅にもチョッカイを出していた時期でしたが、他での瞑想、禅では非常に時間が短く、とても瞑想の状態に入ることはありませんでした。

 

残念ですが10分や15分そこらの瞑想で、心は落ち着きません。

人集め商業瞑想の悲しさ、主催者のレベルの低さを思い知る時期でもあったと思います。

瞑想で、言葉で指導を受けられる部分は、ほんの僅かです。

しかし、普通の人は言葉による説明が多いと 何だかすごい人 となりますが、私的にはそういった輩は、詐欺にも類する行為だと思うようになってきた時期でもありました。

 

そういった意味でも、地味で目立たないですが、本当の瞑想を教えていただける、禅密気功と縁が持てた事は、大変、恵まれた事だなと、ヒシヒシと感じ始めた時期でもありました。

 

続く