二日目
朝食は なか卯で キツネうどん を食べた。
なか卯 に入るのは、10年ぶり以上だが キツネうどん は関西風の出汁で中々旨かった。
気の瞑想、二日目始まり。
教室始まりの時間に、朱剛先生と会員の方が俳句の話をしてみえた。
話が広がり、漢詩、音楽、踊り、の話になる。
文字が確立する以前は、人間は言葉によらない直接的な表現で、心を伝えようとしていたと言う話になる。
踊りであったり、音楽等は正にそうである。
直接、心に訴える手法なので、洋の東西、老若男女問わずに心を鷲掴みにされる。
俳句や漢詩等も直接的な表現を避け、読み手にイメージさせる手法を取る。
気功なども、文字に依る表現を極力避け、導入部だけを文字等で表現し、後は経験、体験を主としている。
しかし、ここに気功の盲点、危険な部分が潜む。
体験、経験だけに全て寄っ掛かると人の道を踏み外す。
魔道に陥る。(私は武術界で悲惨な話を聞いた事がある)
特殊な感覚、映像等は、瞑想中に起こる事で、それを現実としてしまうと大変な事になる。
その為にも、理性はしっかりと持っていないといけない。
普通の普通、社会通念は大切にしましょう。
理性を保ち、気功に取り組めば、気功で得た体験、経験は実社会でも大変有用に作用する。
なにごともそうだが、バランス感覚が非常に重要になる。
本日も、瞑想、時々、蠕動のスタイルで進む。
先生から手印(定印)の説明があった。
今までは手の形などは、なんでもいいやと思っていたが、手の位置、形により身体の感覚は確実に変わる。
人の身体は本当に繊細だと思う。
瞑想に入る。
全身に微弱な電流を流されているようなピリピリ感覚が発生する、電気風呂に入った感覚と、ほぼ同じである。
その後は心地よい音楽と同期した。
鐘の音が音楽に入っており、鐘の余韻に引っ張られるように深い部分に入っていく。
なんて心地よいんだ、そしてさらに深いところに入っていく。
穏やかで、静かで重厚な感覚がある。
結構な重みを感じる。
20kgぐらいのベストを着ている様な重みだが、決して不快ではない。
目を開けて下さい、朱剛先生の言葉で現実に帰ってくる。
午前は終わってしまった。
昼食もうどんであった。
食べログの 100名店 はつとみ いつも混んでいるイメージがあり、入るのは初めて。
豚キャベツうどんを食べた。
豚キャベツなので富士吉田系かと思ったら、宮崎系のうどんらしい、稲庭うどんに感じは似ていた。
豚キャベツらしからぬ上品な うどん 出汁も結構飲んじゃった、反省。
昼寝の時間だったが、昨日とてもよく寝たので、ウツラウツラしていた、なんだか半分瞑想のようでもあり、起きながら夢を見ていた。
午後からは、何をしていても心地よさが失われなかった。
瞑想中は特に強烈で感覚に集中し過ぎて、流れている音楽が全く聞こえなくなった。
多分、五感と言われる感覚は完全に遮断されていた。
音楽は流れていたと思うが、無音の世界である。
没頭していたと思う、これ程、物事に集中したのは小学生以来だと思う。
今思い出すと、小学生の頃はこんな事が、チョクチョクあった。
子供ってすごいんだな~と今更ながら思う。
無音の状態も特筆ものだった。
昔、雪の中でテントを張って非常に静かな中で寝たことがあるが、その時でも雪が時々、落ちるぐらいの音はした。
その時とは比べ物にならないぐらいの静けさだ。
静けさの中、意識は完全に 心地よい気持ち に集中してしまっている、その他の事は何も感じない。
今、この世界はただ 心地よい 世界があるだけで、他には何も存在しない、自分の 心地よい 世界が全てである。
仮に自分の外に世界があるとしても、そこからは完全に隔離されている。
自分以外に世界があっても認識していないので、無いのと同じだ。
自分だけの、自分の為だけにある、自分しか居ない世界というのも幸せなもんである。
現代は何時も、何処でも人と繋がってしまっている。
穏やかで、静かで、優しい、自分だけの世界という物は、とんでもなく幸せで贅沢なんだろうと思う。
きっと、母親のお腹の中にいたときには、そうだったのではないかと思う。
こんな物は、どれだけお金を積んでも手に入れられない。
この体験した世界と現象を、一体どのように表現すればよいのだろう。
伝えたいが、きっと伝わらないだろう。
上手く言葉に出来ない、残念。
所詮、言葉の世界には限界がある。
今日は始終、心地よい気持ちに支配されていた。
やっぱり瞑想会に出ると、面白いなと思う。
今日一日で、体に憑いていた憑き物が無くなった様な爽快感があるな。
本日はこれにて終了、因みに心地の良い音楽は クリスタル・ボウルの響 ALPHA らしいです。
腹が減ったので、江戸川橋界隈の人気の街中華 中華料理 新雅 でチャーハン並と餃子を食べた。
チャーハンは味も良かった。
鼻から飯粒とゴロゴロチャーシューが出そうなぐらいのボリュームであった。
餃子はさらに旨かった。
自分が食べ終わった時には人が並んでいた。
余は満足じゃ。
本日はこれにて本当に終了。