一日目
繊細な気感を感じていく、気の瞑想。
朱剛先生の瞑想の中では最も基本で、全てのベースになる瞑想でもあり、動功と静功を繋いでいく瞑想。
自分が最も長い時間練習している瞑想でもあり、大切にしている瞑想。
本日から4日間の集中コースに参加。
参加者は見慣れたメンバー、皆さん猛者である。
朱剛先生が主催される瞑想会のカテゴリーの説明をされる。
気の瞑想で繊細な気感を感じていく過程の説明がある。
気はエネルギーと言う側面もあるが、感覚として捉えると練習の上では何かと都合が良い。
本日はいきなり瞑想に入る。
最近、瞑想=心地よい と言う回路が出来上がっており、座った瞬間から心地よい。
呼吸に意念を合わせる。
身体もリラックスしてきたので感覚を観察する。
足先、手先にピリピリとした感覚がある、暫く観察していると右足が温かくなってきた。
体というものは本当に不思議な反応をする。
暫くすると左足も温かくなり、下半身まで広がる。
手印のせいもあり、丹田がほんのり温かい。
徐々に呼吸の感覚が無くなり、体の感覚も無くなってきた。
体の感覚が無くなると、意識だけの感覚になる。
その意識の感覚も薄くなり、時間の感覚も無くなる。
この感覚はなんなんだろう。
そもそも感覚事態が無い。
なんにも無い、なんにも無い、まったくなんにも無い。
寝ているのか?
いや寝ていない、体の傾きには敏感に反応する。
ここで一度 蠕動 を行う。
気感を大切に、子猫を撫でるように優しく丁寧に行う。
恐ろしくアクビが出て涙がでる。
一昔前で言う涙がチョチョギレルと言う状態になる。
気感を基にまた、瞑想。
あっという間に時間の感覚を失い、あっという間に午前は終了となる。
今日のお昼は韓国料理だったが、話題は老子から始まり、荘子、仙術の話になり、各々違いの説明があり興味深かった。
私などはこれらの事を一括りにして道教だと思っていたが、お話を聞くと違いが有ることがよく分かった。
西洋哲学の話も所々混ざり、先生含め皆さん本当に博学である。
恐れいる。
食後は昼寝をする、皆さんお疲れである。
全員、少し寝過ごす。
でも、疲れは取れたかな?
昼寝後の瞑想も良い瞑想だった。
日常的な生活では味わうことの出来ない、穏やかさ、静けさ、優しさが今、この瞬間ここにある。
地元に帰り、仕事に取組、理不尽な事を言われ、人間関係に疲れても、戻るべき気持ちは今の気持ちである。
この気持ちを大切にしたい。
今回は皆さんお疲れでもあり二度目のお昼寝30分を実行。
寝る子は育つ、大人だって育つ。
最後に 蠕動 をして、瞑想をして、穏やかで落ち着いて静かさの気持ちの中で一日目は終了である。
今日の瞑想で朱剛先生が念を押された事があります。
朱剛先生:決して無理はしないで下さい、辛かったら横になって下さい、痛かったら立ち上がってほぐして下さい。
瞑想は我慢大会ではない。
我慢をしたところで誰も誉めてくない。
何より、自分の深い部分の心が傷つきます。
自分を見つめる為に、穏やかで、心地よい気持ちになる為に瞑想をしているのに、心が傷ついたら、本末転倒ですよ。