世には、とある法則があるらしい。
物事に興味を持つ人、したい人:10000人
↓
実際に始める人:100人
↓
続ける人:1人
この法則を知った時、理由もなく納得した。
自分は気功に興味を持った時点で 10000人 の内に入った。
しかしここから実際に始める人になるまでには、30年程の年月必要であった。
気功を始めた事が、自分の意志かと言えば、相当怪しく、こうなると縁としか言いようがない。
偶然に思えるこの縁も、実は必然であったのかも知れない。
偶然であったのか、必然であったのかなど、私には知る由もない。
気功に興味を持った時、地方在住であった自分には、習いたくても気功を習うと言う選択肢は無かった。
そして気功が、それなりにブームになってきた。
社会人になり、気功ぐらいなら習える金銭的な余裕もできた。
私の住む地方は、電車に乗れば30分ほどで、それなりの都市があるので、選択肢はあったと思う。
その都市には、気功の草分け的な方が教室を持ってみえた。
本当に習いたいと思った。
しかし、業界がら死ぬほど残業がある職種だった為、おいそれと習う事も出来ず、指を咥えて雑誌等を眺めるのが精いっぱいであった。
気功はTVでも取り上げられるほどブームになったが、それと共に怪しさも増してきた。
そんな時に気に関する雑誌が発売されたと思う。
カルナ とか 気マガジン と言った雑誌だったと思う。
自分は買う事は無かったが、必ず立ち読みをしていた。
内容的には怪しい部分も多かったが、情報源としては面白かった。
気功ブームであったと思う。
少しずつインターネットなる物が世に普及しつつあった。
自分はネット環境を構築するのは比較的早かった為、自分のいる地方にも 気功の教室 がいくつかあることを知る。
しかし、身体を壊すぐらいの働き方だったので、気功を習う等は絵にかいた餅であった。
結局、同僚の奥さんに あなたそんな働き方をしていると死んでしまうよ と言われ転職を決心し今に至る。
多少時間に余裕ができた事もあり、気功を習いたいと思った。
ネットがものすごい勢いで広がって、情報量も格段に増えた。
しかし、気功の教室は減りつつあった。
自分が習いたいと思っていた 草分け的な気功教室さえも閉鎖された。
その後も、興味のある 気功教室はいくつかあった。
全て中国人の方が日本で教えてみえる教室で、謳い文句は相当本格的であった。
非常に興味があったがどんどん閉鎖されていった。
そして、私の住む地方、周辺の都市からは気功は相当消えてしまい、カルチャーセンタで習える健身的な気功しか無くなった。
TVのインチキ臭さ、ブームに乗り悪どく金を儲けた人のせいもあり、あれほどブームであった気功は見る影もなくなった。
それれから10年以上がまた経過したと思う。
気功を習おうと思う気持ちは既に無く、頭の片隅に禅密気功がくすぶっていた。
しかし、禅密気功に私が求めていたのは、背骨を柔軟に使うと言った運動面の機能の向上であり、気功的な物は全く求めていなかった。
だが何かの縁で 実際に始める人100人の内に入った。
ここまで来るのに30年ほどの時が経過している。
驚くことに、私が気功に興味を持った時には、禅密気功は東京で活動を始めていたと思う。
私が習おうと思った気功教室が次々と閉鎖されていった。
一般的に考えれば、生徒数が減少して、教室として立ち行かなくなったのだろう。
何故、立ち行かなくなったのかは、いろんな原因があると思う。
しかし、ある程度の人口を抱えている都市部で、効果や魅力があるのであれば教室は維持できたのではないかと思う。
それを思うと30年間、地道に活動してきた禅密気功は本当にすごい。
信用と実績 この言葉の意味は重い。
特に約束を守る気質の日本人にとって、この言葉は特別な意味を持つ。
仕事や人間関係においても、この信用と実績が有れば、他は何もいらない。
〇〇様お願いします、〇〇ちゃん頼んだよ。
このお願いします、頼んだで、全てが完結し何ら詮索を受ける事はない。
そこには信用と実績という、疑いの入る余地のない信頼関係があるからです。
その信用と実績を失うことなく、禅密気功は今も活動を続けています。
信用と実績の内訳は生活に密着している、健康に貢献している、そして何より心を豊かにしてくれる。
まさか、地方から東京に気功を習う為に、通うようになるとは思わなかった。
禅密気功で面白いのが、他の気功を習われていた方々が、最後に禅密気功に行き着いたと言われる方が多くみえる事です。
これなどは、まさに 信用と実績 を表している事柄だと思います。
効果、深み、魅力、禅密気功には確実にあると思います。
人々が悠久の歴史の中で積み上げた文化、智慧がここにはある。
そして今のところ 続ける人 1人 にも入っている。
気功の効果は、健康面で簡単に誰もが感じる事はできる。
しかし、深みの部分は続けないと分からない。
気功の本当の魅力は、この深みの部分にある。
深みの一端に触れる事ができると、自分の中で健やかな心が徐々に育っていく事を感じる事が出来ます。
宝物と言ってよいと思います。
これは、言葉の世界では無いので、いくら本を読んでも、人から親切、丁寧に話を聞いても分かりません。
気功の深みの部分は、体験、体感してみないと残念ながら分からないのです。
昔に比べ、今は本当に便利になったと思う。
しかし、便利になり、豊かになったのか? と問われれば 否 だと思う。
何故、豊かさを感じないのか?
その一端に、物質的な物だけ、目先の事だけに囚われてしまった現実があります。
禅密気功には 豊かさ に対する一つの答えがあると思います。
この答えは、どれ程お金があっても、地位が高く、権力を持っていても、手に入りません。
しかし、誰にでも、手に入れることができる物でもあります。
来月からは4月です。
自分に関わる状況がダイナミックに変化します。
何かを始めるにはもってこいの季節です。
その、何かの一つの選択肢に 禅密気功 を加えて頂ければ幸いです。