相当、ご無沙汰だが、このシリーズはまだまだ続く。

 

今回はようやく 楊 露禅 である。

 

 

現在、一般に太極拳と呼ばれる物は、ほぼこの 楊 露禅 の影響を受けている。

(ほぼと書いたのは、陳式は楊式の源流にあたるので、楊式の影響は受けていないと思われる)

 

日本で言う 制定拳、24式などは楊式が元になっている。

欧米系で盛んな37式も楊式系の太極拳である。

 

呉式、武式、孫式などは大きく言えば楊式の分派である。

(武式、孫式は他の要素も入っているので、純粋な楊式の分派とは言い難い面もある)

 

そもそも 太極拳 と言う拳名がつけられたのはこの 楊式太極拳 からと言う説がある。

 

今は、健康を主目的に行う人がほとんどであるが、太極拳には 拳 の一文字が入っている。

要は、本来は武術が主たる目的であり、いかに自分の身を守り、時と場合によっては人の命を奪う事を目的にしている。

 

楊 露禅 が拳を練った時代は、武術は保守的な時代であった。

何故、保守的だったかと言えば、それは技を知られれば返し技を開発され、人に拳を見せると言う事は、即、自分たちの死に繋がったからである。

単純に言えば、武術を武術として使う時代であり、人の生き死にが身近にあった時代であったと言う事である。

 

楊式太極拳の源流は、陳式太極拳である。

陳式太極拳は同族の 陳性 の者にしか伝承はされていなかった。

何故かと言えば、上記に書いた通り、技が漏れればそれだけ自分たちの命が危うくなるからで、同族の者であってもそう簡単に、練習方法は教えてはもらえなかった。

楊性 である、楊 露禅 などは本来 陳式太極拳 を習える立場にはなかった。

 

楊 露禅 は貧乏なな農民の子であったと言われている。

当初、楊 露禅 は少林系の武術を習っていたと思われるが、陳式太極拳の噂を聞き、乞食のふりをして 陳 長興 の家に入り込み、拳を盗んだとされている。

 

下働きとして、入り込んでおり、楊性の露禅は拳を習えるはずも無く、練習を盗み見て自分の物にしていったと言われている。

 

ここからは諸説がある。

 

楊 露禅は武術界の掟を破り、拳を盗み見て功を練った、しかしこの行為がばれて、厳罰に処すると言う事になる。

厳罰とは武術が行えないように、身体に障害を残すように処分すると言う事である。

しかし、陳 長興 が、楊 露禅 が武術を学ぶことを許し、後に 楊 露禅  は大成する。

 

陳 長興 の家が火事になり、とっさに 楊 露禅 が 陳 長興の母親 を機敏な動作で助けてしまい、陰で陳式太極拳を練っていたことがばれる。

しかし、母親の命を助けた功で、陳式の太極拳を正式に習えるようになった。

 

陳 長興 の家が火事になり、とっさに 楊 露禅 が 陳 長興の母親を機敏な動作で助けてしまい、陰で陳式太極拳を練っていたことがばれる。

楊 露禅 が秘密裏に陳式太極拳を練っていたことがバレ、命の危険を感じ逃げる事を決心する。

だが、陳氏としては自分たちの拳が盗まれた為、拳を取り返すために追っ手を出す。

拳を取り返すとは 楊 露禅 を殺すと言う事である。

しかし、すでに  楊 露禅 の功は成っており、追っ手の者では 楊 露禅 にかなう者は既にいなかった。

 

個人的には①であったろうと思う。

盗み見したぐらいで、武術の 功 は成らない。

 

こうして 楊 露禅 は陳氏の拳を収めることができた。

 

続く