人は動物の中で、唯一言葉を話す動物です。

他の動物でも鳴き声などで、単純な意志の疎通は行えますが、人間ほどの複雑なやり取りは不可能です。

 

そして言葉からは文字が生まれ、その人がいなくても、その時代でなくても、離れていても、情報としての伝達が可能になりました。

その後の文明の発達、科学技術の発達は、恩恵を受けている私たちが一番理解しています。

 

つまるところ、現在の人間の世界のほとんどが、言葉や文字に類する表現方法で構成されていると言っても過言ではないと思います。

 

しかし、言葉や文字で全てを現わせているのか? と言われれば、それは完全に NO です。

しかし、言葉や文字はあまりも便利な為、言葉や文字ので世界の全てを表現できてしまう錯覚に陥ります。

 

以前、気功帰りに飲み屋に寄り、気功仲間との話が、自分の中では強烈に印象に残っています。

 

世の中、言葉で伝える事ができるのは、全体の3割ぐらいらしいよ!

 

それを聞いた時、確かにそうかも知れないと思いました。

人は何かと言葉や文章で確認したがります。

それは言葉や文章になることで、確固たる拠り所を得る為でもあります。

その言葉や文章でさえ、確実かと言えばそうではありません。

嘘をつかれれば身も蓋もありません。

 

少し脱線しましたが、気功や禅のような文化の核心的な部分は、言葉で表現するのは不可能です。

一般的に不立文字と言われたりします。

 

乱暴に言えば 文字や言葉で理解できると思うなよ となります。

頭が良かろうと、悪かろうと、頭を使い言葉で理解できる文化ではありません。

 

どれだけ言葉を尽くしても、どれだけ理論的に体系を組み立てても、それ事体で本質を理解する事はできません。

言葉、文字、理論的な物は学者に任せましょう。

こういった物が全く無意味で、言葉も文字も要らないと言うわけではありません。

そういった基本的な部分は 言葉、文字を大切にしましょう。

 

ですが、核心は実践して体験する事です。

 

実践、体験する事が、本当の意味での理解に繋がっていきます。

そのような体験を持った時、先人の文章、先生の言われることが手に取るように分かります。

 

経験を持った人の言葉は、どことなく違います。

表現が上手いとか、美しいとかそういった飾り立てた事では無いです。

経験を持った人の言葉は、心に響きます。

 

言葉や、文字はとても大切ですが、学者で無い限り、実践しないのであれば気功や禅に取り組んでいるとは言えません。

 

気功や禅の凄いところは、頭が良いとか、悪いとかに関係なく、素直さとコツコツ練習する姿勢があれば、辿りつける可能性がある事ではないかと思います。

 

まーたどり着けなくても、気功や禅文化は携わっているだけで楽しく、生活にとっても健康面でも有用です。

 

頭デッカチになることなく、理論と実践はバランス良く、取り組みましょう。