気感を築く事ができると、気感に意識を集中して座ることができるようになる。
しかし、座る段階でとても、とても大切な要素がある。
座る環境である。
座れさえすれば何でも良いと言う訳ではない。
勉強をする場合も環境が大切である、それと同じくらい瞑想も環境が大切である。
日本人は歴史的な要因なのか、やたら根性論を持ち出し、我慢する人が一番偉いとか、苦痛を我慢した人が一等賞的な物を誇る文化が根付いてしまっている。
確かに苦痛や辛さが続くとエンドルフィンなどの快楽物質により恍惚となることがあるので、全ては否定しないけど、あまり苦労や苦痛が続くと精神に傷が刻み込まれ、おかしなルーチンが出来てしまうので、苦痛や我慢が必要な瞑想は正直いかがな物かとと思っている。
ひと昔であれば、快適な環境を確保する事は至難であったかもしれないが、現代は空調設備も普及し快適な環境は簡単に確保できるようになった。
では、何故、快適な環境が必要なのか?
それは、外部からの情報を遮断して、心を穏やかに保つためである。
要は、五感から発生する情報が、脳に入力される事を極力抑える為である。
五感なので目、耳、鼻、舌、皮膚から発生する感覚の事である。
気感は確保している、そして座る、気感に意識を集中する事で心は徐々に落ち着いて心は穏やかになっていく。
・しかし、目の前を綺麗な女の人が歩いていると心惹かれてしまう、できれば一生付いていきたい。
・耳のそばを蚊が飛ぶと、あーうっとおしい、もう瞑想どころではない、アースノーマットの電源入れて、キンチョールぷしゅ、ぷしゅしてやるからなとなってしまう。
・隣の飲食店から、何とも良い香りが漂ってくると、あーお腹空いたな、から揚げ食べたいなとなる、ついでに餃子も食べたいなとな、今日はちょっとラー油を多めに入れよう、皮は厚めかな、野菜は多めかな、モー本当にどうでもいい事しか頭に浮かばん。
・瞑想中に湖池屋のリッチコンソメチップスを口に突っ込まれれば、おいしいなとなり瞑想を止めて一袋分ポテトチップスを食べてしまう、後でドン・キホーテ行って買いだめしようと思う、これもどーでもいい。
・スズメバチの巣の下で瞑想をしていて、運悪く蜂に刺されたら、痛ったーとなり、薬、薬となり、ひょっとすると死んじゃうかもと思う、ひょっとすると死んじゃって、この先ずーっと、ずっと瞑想状態になってしまうかもしれない、頭に白い三角頭巾を付けての瞑想ですけど・・・・・。
例えは極端だが五感が動くと、好む好まざるに関係なくその情報は脳に届けられ、届けられた情報を基に好む好まざるに関わらず脳は処理を開始し、どうかすると脳の処理に伴い行動が発生する。
パソコンのキーボードを叩けば、パソコンが処理を行い、ディスプレイに何かが表示される、上記の一連の処理はこのパソコンの動きにそっくりである。
座っていても、脳が働き、処理をたえず行っているのであれば、外見は静かでもそれは瞑想ではない。
レディース AND ジェントルマン いたずらに座れば良いと言う訳では無いのですよ。
極端な苦痛や苦難を伴う状態での瞑想は常に脳への情報の入力がなされている状態である。
瞑想を行う場合はこういった劣悪な環境は避けて、快適で脳への入力負荷が少ない状態で行うべきだとおもう。
だから、環境を舐めてはいけません。
現代人は忙しく、瞑想に割り当てる時間を確保するのは大変です。
無駄を省き、最大効率で瞑想を行いたいものです。
続く