週に1回程度の瞑想でしたが、東京の教室で瞑想を行った後の感覚と、自宅で行った瞑想の感覚には圧倒的な差がありました。
正直、同じ瞑想とは思えませんでした。
東京で行う瞑想の後は、必ず何とも心地よく、穏やかで、妙な幸福感に包まれるような感覚となります。
かたや、自宅で自分で行う瞑想はいたずらに、ただ時間が経過しただけでした。
なんでこんなに違うんだ
あまりの違いに驚いた記憶があります。
そうは言うものの、週1程度でも瞑想を行っていると、何らかの心と身体の変化が現れます。
禅密気功では瞑想の初期、初歩段階で現れる、身体現象をしっかりと教えていただけます。
奇景八触と呼ばれる、気感、身体の感覚です。
八触とありますので、代表的な8つの感覚の事です。
代表的なと書いたのは、気功を行っていると8つ以外にもいろいろな感覚が発生するからです。
八触は「動」「痒」「軽」「重」「涼」「暖」「粗」「滑」です。
以下、朱剛先生のブログ記事をお借りしました
・「動」は体が気泡のようになったあと、続けて練習していると身体が動くように感じ
られます。しかし実際には動いていません。
・「痒」は静かになった時、時々体内に虫が動いているような痒い感触です。
・「重」は背中と頭に重い石がのっているような感じで体が重苦しくなります。時々
重い感じと共に身体が小さくなるような感じもおこります。
・「軽」は静かに練習していると、自分の身体が段々と大きくなったり、存在感がなく
なって空中に浮かんだりするような感じです。
・「涼」は身体が涼しくなって、頭から涼しいエネルギーが流れてくる感じです。
・「暖」は全身の温かい気が活発になって、気泡のような身体がぽかぽか暖まった感じ
になります
。
・「滑」は全身の皮膚に艶がでて、つるつるになります。
・「粗」は全身の皮膚がざらざらになります。
この8つの感覚は入門段階の感覚で、後々言葉には表せないような微妙で繊細な感覚が発生してきますが、まずは8つの感覚が発生してそれを認識する事が大切です。
そう言う自分も、子供がカードゲームのカードを集めるように、この8つの感覚を集めだしました。
自分は熱感、冷感、ムズムズ感、ピリピリ感などが比較的よく観察されました。
そうなると、まだ表れていない他の感覚を何としてでも体感したくて、一時期はそれを目標に瞑想を行っていました。
今となっては、そういった感覚を目指すだけの瞑想はどうかな?、とも思いますが、初期の段階ではそういった具体的な物を求めるやり方も有りかなと思います。
この八触を求めていたころは、まだ瞑想と呼べるような状態ではなかったなと、今では思います。
それは今は、もっと別の感覚や、言葉では言い表せないような、本当に繊細で微妙な感覚を体験するようになったからです。
また、初期の八触を求めていたころは瞑想的に座ってはいましたが、瞑想とは呼べない物であったなと思います。
何故、そう思ったかと言うと、それは自分がそう感じるとしか言えませんが、今は明確にそう思います。
説明根拠としては乏しいですが、感覚として明確にある物は、経験によって得られた経験智と言ってもいいのではないかと思います。
気功・瞑想は正しい知識はとても大切ですが、何より大切にするのは練習を通して体験する感覚・経験です。
ですからいかに知識があっても、体験を通して得られた感覚・経験が無いのであればそれは入門すらできていないことになります。
知識だけをひけらかすのであれば、穴を掘ってそこに向かって叫んでください。
私たちは練習を通して得られる、感覚・体験を重視しています。
しかし、このころを思い返せば、本当にまだまだ瞑想と呼べるような状態でなかったと思います。
続く