禅密気功に入門して、初歩的な瞑想の手ほどきを受けた。
そして、何とか瞑想を続けていきたいと思った。
私は地方在住者なので、週1で教室に通うことはできず、習った物は自分の意志で自宅で行わなけらばならない。
要は一日の中でどこかで自主的に練習をしないといけない。
内容は築基功(動功)と瞑想(静功)の二本立てである。
※静功には感覚的にも色々な解釈がありますが、身体が比較的止まっている状態を静功としました。
世の中に3日坊主と言う言葉があるが、この言葉を聞いて 私は関係ない と思える人が世の中にどれだけいるだろう。
※一人前の僧侶(坊主)になることを志す修行僧が、三日ほどたって脱落してしまう様子から、『三日坊主』といわれるようになったとされています。
世に 三日坊主祭り と言うものがあったら、私などは毎年参加しなければならないか、主催側の立場の人間だ。
要は物事をコツコツと地道に行えるようなタイプでは無いと言う事です。
しかし、禅密気功で得た 何とも言えない心地よい感覚 は忘れがたく、仕事が終わり少し落ち着く21、22時を目安に自主練習を行うことにしました。
最初の1週間ほどは続けていましたが、一日抜け、二日抜け、徐々に週に2、3日しか練習をしないようになり、最終的には週に1回、2週間に1回とどんどん回数が減っていきました。
自分のふがいなさに自己嫌悪に陥り、本当に情けないと思ったものです。
そして、もう一つの問題は夜に瞑想を行うと 寝落ち する確率が大変高いことです。
大変高いと書きましたが、確率的にはほぼ100%で、医者が処方しない睡眠導入剤と言っても差支えの無い状態で、もう瞑想では無く、睡眠でした。
寝つきだけは達人級で 野比のび太 よりも手練れであったかもしれません。
しかし、練習時間は帰宅してからしか取れませんので、ジレンマに陥り、どうするべきなのか・・・
何とかモチベーションが維持できた理由は、禅密気功の短期集中講座に定期的に参加しており、その都度、気持ちの底上げをして、家でまた取り組み、また練習回数が減っていき、自己嫌悪に陥る、そんな時間が2年程続きました。
瞑想のような地道な作業は、自分のモチベーションが鉄則で、個人で行えないと、せっかく良い物を習っても日々の生活に取り入れていく事はできません。
飽きやすいが、しつこいと言う相反する性格である私は、練習頻度が落ちても忘れることはありませんでした。
瞑想は結局のところ、自分との戦いであると言う現実を叩きつけられました。
その事に関しては、誰も助けてはくれません。
世の中の構造の本質的な部分を、この歳になって突きつけられたような気持ちです。
自分の事は自分でやるのが鉄則で基本である。
瞑想しなくても誰にも怒られませんが、自分で求めているのに自分が行わない。
本当に情けなく思う時間が長く続きました。
瞑想は自分の意志で、自分で行う。
一番最初に訪れますが、最大の難関かもしれません。
続く