瞑想の基本とは何だろう。

自分ごときが語ることでもないが、現時点での経験で語ってみたい。

 

過去に、ヨガ的な瞑想的、体験的に禅、マインドフルネス、他流気功の瞑想などをかじる程度に行った。

 

何故、そういう事を行ったかと言うと、単純に瞑想に興味を持ってしまったからだ。

その中で、禅密気功以外の他の瞑想が何を行っているのか、大変知りたくなった。

 

それは、他の瞑想と禅密気功の瞑想を比べる事で、より禅密気功の瞑想の理解が深まるかもしれないと思ったのと、どの流派も瞑想や禅と謳っているのであれば、共通する瞑想の基本が分かるかもしれないと思ったからだ。

そもそも論だが、排他的な思想で瞑想や、気功を行うとろくなことにはならないと個人的には思っている。

色々知ることで避けるべきこと、取り入れるべきことが明確に分かってくる。

 

瞑想の導入に関してもいくつかの種類があった。

一部の気功には座る前には前処理を行う流派もあったが、他はいきなり座る流派が多かった。

個人的な経験だが、いきなり座る瞑想は初心者にはとても、とても難しい行為だと思う。

それはいきなり座ったところで、心を穏やかに保つのは至難の業だと思うからである。

 

他の瞑想を行って、禅密気功の瞑想が優れている事は、座る前にしっかりと気感を確保して、その気感に意識を集中して瞑想を行うことで、雑多な事を考え難して(雑念の事)、心穏やかな状態に導く、方法が確立している事である。

その気感を確実に築いてくれるのか 築基功 だ。

禅密気功で瞑想を行うのであれば、築基はマストである。

 

気感を基にした瞑想、いきなり座る瞑想も目指すものは同じかもしれないが、効率的なのはやはり導入時点で気感を基にした瞑想だと思う。

 

こういった事実が分かれば、禅密気功以外の流派でもまずは集中すべき対象(禅密は気感)をしっかりと確保する事でその後の瞑想により良い効果を得られる事ができるのではないかと思う。

何事にも下準備は大切で、瞑想を行うのであれば、下準備の気感を得ることがとても大切だと思う。

 

日本では禅的なものが主流を占めると思うのだけど、禅も天台宗の教義を基本としている部分があるので、天台小止観など基本的な部分を確認する事はとても大切な事ではないかと思う。

六妙法門などは非常に参考になる。

日本では数息観ばかり取り上げられる感があるが、その他にも当然大切な事が六妙法門には書いてある。

知っていて損は無いと思う。